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“吉田沙保里超えの133連勝”レスリング藤波朱理20歳はいつ覚醒したのか? 父が語る“最強”の育て方「強制したことは一度もありません」
posted2024/04/28 17:00
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Getty Images
やりたくないなら、それはそれで構わない
「娘にレスリングをやるように強制したことは一度もありません」
パリオリンピックで金メダルの期待がかかるレスリングの女子53kg級代表・藤波朱理(日本体育大)の父・藤波俊一さんはハッキリとそう言った。
俊一さんが切り盛りする三重県いなべ市のレスリング場「いなべクラブ」に朱理が出入りするようになったのは3歳の頃だった。7歳上の兄・勇飛がここでレスリングを始めていた関係で、まだ幼い朱理をひとりで家に置いておくことはできなかったからだ。
「ずっと道場で遊んでいるか、お母さんのヒザの上に乗って練習を見ている感じでした」
愛娘とはいえ、過度な期待を抱くことはなかった。レスリングや柔道の場合、経験者の親が息子や娘に夢を託すケースが多いが、藤波家はそうではなかったということだ。朱理も「わたしには全く期待していなかったと思いますよ」と振り返る。
俊一さんは「本人がやる気になるまで待とう」と長い目で見守った。レスリングをやりたいならやればいい。やりたくないなら、それはそれで構わない。そんなスタンスだった。1年後、朱理は「わたしもやる」とマットに上がり始めた。
それでも、俊一さんが舞い上がることはなかった。
「最初はレスリング半分、遊び半分。徐々にやる気が出てきた感じでした」
長男・勇飛に対しても、俊一さんは同じスタンスを貫いた。
「兄の場合は小1から始めたけど、試合が終わるたびに『(真剣に)やるのか、やらないのか。どうするんだ?』と確認していました」
のちに勇飛は世界選手権で銅メダルを獲得するなど将来を嘱望された存在だったが、オリンピックにはあと一歩届かなかった。俊一さんは「同じ兄弟でも性格が違う」と感じていた。
「妹の方がえらく負けず嫌いですね。子どものときにゲームをやっていても、勝つまでやりたがっていた」
その性格は朱理の成長を後押しした。俊一さんは「先に兄がどんどん強くなっていたこともいい刺激になっていたと思う」と推測する。