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「落ちたなぁーで終わるのは嫌なんです」陸上界のニューヒロイン・山本有真24歳が語る“引退観”…目標は田中希実らと「一緒にパリ五輪に」
posted2024/05/01 11:07
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Takuya Sugiyama
今夏に迫ったパリ五輪への出場を目指す山本有真(24歳)。世界と戦う山本のインタビュー最終回では、競技人生のターニングポイントとなった大会、そしてアスリートとしての“引き際”への考えを聞いた。《NumberWebインタビュー最終回/全3回》
駅伝の名門校・名城大学から積水化学女子陸上競技部に入社した山本有真は、入社1年目から国内外で活躍を見せた。大学時代は駅伝での活躍が目立ったが、入社後は大学4年の日本インカレで制した5000mを主戦場にした。
「5000mが一番、私に合っているので、それで世界に挑戦しようと思いました」
山本が世界を意識したのは、大学3年の時だった。
大学2年の終わりに一度、寮を飛び出して陸上をやめようとしたが、2カ月ほどで復帰し、練習をスタートした。その際、米田勝朗監督から「どうせやるなら日本代表を目指していこう」と言われた。
「最初は、えっ?って感じでした。一度やめて戻って来た時だったので、キロ5分で走るのもキツい状態だったんです。日本代表を目指そうと言われてもピンと来ず、『無理でしょ』と思ったんですけど、4年の終わりにアジア室内に出走(3000m)し、日の丸を背負うことができたんです。米田監督が2年で、そこまで連れていってくれてすごくうれしかったですね。アジアでしたが、国際舞台は日本のレースとは別モノで、雰囲気もレベルも違うし、すごく刺激的でした。ここから日本代表への意識がすごく高くなりました」
「走る前は恐怖心でいっぱいでした」
山本は、昨年7月のアジア選手権5000mで、キレ味抜群のラストスパートで後続をちぎって金メダルを獲得した。その優勝でワールドランキングのポイントを上げ、ブダペスト世界陸上の出場権(5000m)を獲得した。
2023年最大の目標にしていた舞台に立つことができたが、そこは日本ともアジアともまったく異なる世界だった。
「とにかくプレッシャーがすごかったです。自分で掛けてしまった部分もあるんですけど、日本代表だから速く走らないといけない、ミスしたり、遅かったら周囲の人に何か言われるんじゃないか。走れなかったらどうしよう。そんなネガティブなことばかり考えて、走る前は恐怖心でいっぱいでした」
トラックに登場すると、スタジアム全体が揺れるような歓声が響き、思わず鳥肌が立った。アジア選手権の時は、ほとんど観客がいなかったが、ブダペストのスタジアムは満員で、その圧倒的な雰囲気に山本は飲まれてしまった。
「スタート前はめちゃくちゃ緊張して、全然集中できなかった。レース前日は、1000mの刺激を入れたんですが、自己ベストぐらいで走れていたし、それまですごく練習もできていたので、イケるって感じだったんですけど……」