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「あんなに元気だった子が、なんで…って」練習中に同期選手が急逝…元女子プロレスラー・西脇充子が明かす「22歳で引退を決意した理由」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社
posted2024/04/07 17:00
全日本女子プロレスを22歳の若さで引退した西脇充子さん。現在は相撲部屋の女将に
西脇 プレゼントがとにかく大量だったのを覚えてる。私たちは、それをあさってたの(笑)。全国から送られてくるプレゼントをマンションの一室に詰めこんで、どんどんあふれていくから、みんなで開けていって、金目のものと手紙は分けてどかして、あとで渡す。今思うとダメだよね、人がもらったものを勝手にあさっちゃ(笑)。ってぐらい、すごい量だった。付き人でいちばん大変だったのは、(試合会場で)寄ってくる人をはねのけること。「どいてください!」「さわんないでください!」って、怒鳴りながら。ファンの子が殺到しちゃって、銀バス(選手を乗せた移動バス)が揺れたんだから。
22歳の若さで引退した理由「限界を感じてたんだよね」
――揺らしていたのは、女子ですからね。80年代アイドル黄金期のすさまじさを物語っています。引退は90年。理由は何だったんですか。
西脇 私のなかで、限界を感じてたんだよね。もうこれ以上はないなって。まだ22歳。ケガもしていなかったので、続けられたんだけど、いいときに辞めたかった。懐かしいなぁ。いい時代にやらせてもらったけど、語れるほど(現役生活は)長くない。たった5年だから、ともさんから「おまえが語るな」とか言われそう(笑)。おいしいとこだけつまんで、さっさと辞めて、やりたかった俳優や歌の仕事をはじめちゃったもんだから。
――芸能界への転身は、いかがでしたか。
西脇 甘いもんじゃなかった。成功してる人はみんな、並々ならぬ努力をしてることがよくわかった。リングの上で歌を歌わせてもらったとき、すごく気持ちよくてね。あー、私って歌が好きだなぁって思って、辞めてからは友達とライブを開いたりしてたんですよ。歌の勉強をするために、26歳のときに1年半ぐらい、1人でロスに行って、ボイストレーニングを受けたり。
――単身で1年半って、かなり本格的に目指していたんですね。
西脇 あのときは、ね。日本に帰ってきてから、六本木のクラブで歌わせてもらったりしたけど、そんな人っていっぱいいる。すごい努力をしている人を見て、私、もう努力できない……ってなっちゃった。きっとね、プロレスで燃え尽きちゃったんだと思う。辞めてからは、努力とか何だっていうのができなくなっちゃったっていうのが、正直なところかもしれない。クラブで歌って、働いて、それで満足。さらに上を目指す、メジャーデビューするということを、考えなくなっていった。そのあとだね、がんになったのは。
《つづく》
(※)昨夏に両ヒザ人工関節置換手術を受け、今年3月16日の東京・新宿FACE大会で復帰。6月8日に同所で自身のデビュー39周年興行を開催予定。来年は国内女子プロレスラーで前人未到の現役40周年を迎える。