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「僕は忙しいんです。だから…」魁皇からのプロポーズ…元女子プロレスラー・西脇充子(56歳)が卵巣がんを乗り越え“大関の妻”になるまで
posted2024/04/07 17:01
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Takuya Sugiyama
29歳で卵巣がんに罹患した。抗がん剤治療で髪がごっそり抜けたとき、わんわん泣いた。地獄を見た。ところが、それがきっかけで運命の歯車が動きはじめた。
西脇充子が古賀充子になったのは、偶然ではなく必然だったようだ。
◆◆◆
西脇 最初はね、うつ伏せで寝てて、おなかがころころして。トイレもめっちゃ近かったから、膀胱炎になったかななんて思って病院に行ったら、内科の先生から「すぐに婦人科に行ってください」って言われて、回された。婦人科の先生からは、「すぐに入院して。これね、がんだよ」って言われて、えっ……て。帰りのタクシーで何を考えたかっていったら、給料を前借りしなきゃ、マンションのゴミを捨てとかなきゃ。
――がん治療のためのお金が必要だ、と。
西脇 そう。で、働いてた店のオーナーに事情を話したら、「まず親に電話すれば?」って言われて、あっ、そっかーって。すっかり忘れてた(笑)。そしたらお母さん、その日の夜に(地元の岐阜県から)出てきたんだけど、泡を食ったんだろうね、かばんに本を13冊も詰めてきた。長い入院生活になるだろうから、本がいると思ったんじゃない? 入院して、3日後に手術。卵巣がんだけど、良性とも悪性とも何ともいえないってことで、腫瘍を1.5キロも取ったんですよ。
「いちばん泣けたのはね、髪の毛が抜けたとき」
――けっこうな重量じゃないですか!
西脇 私は見てないけど、オーナーがそれを確認して、「あんた、すごかったよ。明太子のでっかいやつみたいで」って。そりゃ重いよね、そんなでっかいのが詰まってたら。きわめて悪性に近いからって、そこから抗がん剤治療を6カ月。1カ月に1回、6クールの闘病生活に入りました。いちばん泣けたのはね、髪の毛が抜けたとき。
――何度目の抗がん剤治療のときですか。
西脇 2回目だから、2カ月後。抜けてきた時期だったので、ウィッグを買いにいくための外出許可をもらって。髪をうしろで結って、ニット帽をかぶって、(外出先から)「病院に戻る前に抜けた髪をベランダで払っとくね」なんて言いながら、オーナーに「ちょっとここ上げて」ってグッて持ち上げてもらったの。私もグッて動いたら、つかまれていた髪がごっそり抜けた。ニット帽で抜けた髪をくるんで、病院に帰った。それを看護師さんに言ったら、「西脇さん、もう洗っちゃいましょう」と。