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「あんなに元気だった子が、なんで…って」練習中に同期選手が急逝…元女子プロレスラー・西脇充子が明かす「22歳で引退を決意した理由」

posted2024/04/07 17:00

 
「あんなに元気だった子が、なんで…って」練習中に同期選手が急逝…元女子プロレスラー・西脇充子が明かす「22歳で引退を決意した理由」<Number Web> photograph by L)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社

全日本女子プロレスを22歳の若さで引退した西脇充子さん。現在は相撲部屋の女将に

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伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

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L)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社

クラッシュ・ギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)やダンプ松本を中心とした極悪同盟で、女子プロレスが社会現象と呼ばれる大ブームを起こしていた1985年。西脇充子は、その年に全日本女子プロレス興業(以下、全女)のオーディションに一発合格した。同期は宇野久子(のちの北斗晶)、現役続行の通算キャリアとしては女子マット界最長となる堀田祐美子など、15人もいた。

現在は、浅香山部屋の女将さん。親方で夫、元大関・魁皇の浅香山博之さんとともに弟子を育てて、部屋を切り盛りする。美人女将が振り返る、女子プロ黄金期とは。《NumberWebインタビュー全3回の初回》

◆◆◆

西脇 いい時代にプロレスをやらせてもらいましたよ。あの時代が、今の私を生かしているって感じ。ひと握りの人しか女子プロレスラーになれない時代でね。私の代で3000人以上の書類審査からオーディションに受かったのは10人。その後の補欠合格で、最終的に同期は15人になったんだけど、どんどん辞めていっちゃうのね。私は5年しか続けなかったけど、短いからこそ「最高の青春時代だった!」と振り返ることができるかもしれないです。本当に貴重な経験をさせてもらいました。今でいうパワハラが当たり前で、その応酬の毎日。足を踏まれても、(後輩の)こっちが「すいません!」って謝る時代で。

――同期には、北斗さんがいて。

西脇 北斗はもう、新人のときからずば抜けてた。あの子と仲前芽久美(ドリル仲前)は練習生だったんで、「えっ、先輩!?」って思うほど何でもこなせていたし、場慣れしてた。10人の先輩が10発ずつ1人の新人を投げる「百発投げ」っていうのがあったんだけど、受けるこっちはふらっふらになるわけ。それが嫌で、辞めていく子も多かった。最後まで受けきったのが、北斗。私、目の前で見てた。

練習中に急逝…同期だった佐藤真紀さんへの思い

――入団した年の5月、同期の佐藤真紀さんが八丈島合宿中に昏倒して、急逝しました。私が、「女子プロの子」が死ぬことを初めて知った事故でした。

西脇 そうなんだ。真紀ちゃんは2歳年下で、中卒で入ってきたから当時15歳。Aチームで、北斗と同じエリートのできる子だったんだよね。私は、旅(地方巡業)とかにも置いてかれるBチームで、八丈島のときはAチームが練習中に大騒ぎしはじめたから、「なんだ、なんだ?」って。

――入団間もないから、同期の関係性はそれほど深くなかったのではないですか。

【次ページ】 「お葬式で、みんなで泣いてたのは覚えてる」

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