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「暗いやつだな」伝説のクライマー・一村文隆(享年41)と「ギリギリボーイズ」が“狂い咲いた”ころ…「こいつと一緒に登らなければダメだ」
posted2024/03/14 17:00
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Yusuke Sato
(初出:発売中のNumber1092号[ノンフィクション]「ギリギリの彼方。クライマー・一村文隆の生と死」より)
ミステリアスな存在「イッチー」
「暗いやつだな」
それが横山勝丘の一村文隆への第一印象だった。仲間内で「ジャンボ」の愛称で親しまれる横山は、岩肌を想起させるような骨格と風貌の持ち主だ。横山は2つ年上の一村を「イッチー」と呼んでいた。
「イッチーの名前は聞いてたんです。すごい気合いの入ったやつがいる、って。アルパインクライミングを真面目にやってる人って、すごく少ない。だから、そういう情報はすぐ入ってくる。話には聞いていたんですけど、すごく人見知りする感じでしたね」
写真の中の一村は、目が小さいせいもあるのだろう、表情が読みづらく、確かに内向的に見えた。
私の中で一村は長くミステリアスな存在だった。トップクライマーたちの話の中にたびたび登場するのだが、どんな人物で、何をなし遂げたのかもわからない。
ピオレドール賞という、賛否両論あるものの、世界の山岳界においてもっとも権威のある賞がある。一村は2008年に同賞を受賞したほどの実力者であるにもかかわらず、極端に情報が少なかった。
彼はメディアに露出することをひどく嫌悪していたという。山で価値の高い成果を挙げると山岳雑誌等にレポートの提出を求められるのだが、パートナーが書くことはあっても一村が書くことはまずなかった。
登山界に突如現れた「ギリギリボーイズ」
アルパインクライミング――。この言葉を簡単に説明すると、標高6000m以上クラスの山で、年中、氷と雪が張り付いているような壁を2本のアックス(鎌のような登山具)を使いながら登る登山のことだ。乱暴な書き方をすれば、さまざまな種類の登山の中で、もっとも死が身近にある。
日本で一時期、この登山スタイルによる成果が「狂い咲いた」時期がある。狂い咲きという表現を使ったのは山岳ライター兼編集者の森山憲一だ。
「日本のアルパインクライミングって、'90年代はずっと停滞していたんです。凝り固まったタイプの登山家たちばっかりで。その状況で『ギリギリボーイズ』という20代のやつらが現れた。彼らは山を舐めるなと威張っていた古い気質の登山家たちがとても登れないような壁をバッコバッコ落としていったんです。'05年あたりから始まって、'12年、'13年ぐらいまでがピークだったかな。それは鮮烈でしたよ。最初の頃、彼らの中心にいたのが一村君と横山君だったんです」
ギリギリボーイズとは、彼らが使っていた遠征隊の名称だ。複数人で登山申請を行う際、団体名を記入しなければならない。従来の遠征隊なら大学山岳部や山岳会の名称を使うところだが、彼らはそうした大組織には属さず、遠征ごとに2人から3人程度の小さなチームを組んで行動していた。その際、便宜的に使っていたのがこの名前だった。ひと昔前、ちょっとしたブームを巻き起こしたギリギリガールズというセクシー女性アイドルの名称をもじったのだという。この軽いノリが彼らの気分と勢いを象徴してもいた。
「こいつと一緒に登らなければダメだ」
横山が一村に初めて会ったのは2004年夏のことだ。場所は「小川山」と呼ばれる長野県川上村の岩場が乱立するエリアだった。
「約束をして会ったんじゃなくて、たまたま知り合ったんです。僕は明るいやつの方が好きなんですけど、山に対するモチベーション、向いてる方向は彼と一緒だった。イッチーはすでに海外経験も豊富で、組んだら海外の大きな山に行けそうだな、というのがわかった。だから、こいつと一緒に登らなければダメだって。会った翌日には、もう来年どっかに行こうぜ、という話になっていたと思います」