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「あいつを殺さなかったら、自分が殺される」ブル中野の告白…アジャコングとの死闘が“プロレスファンの色眼鏡”を壊した日《WWE殿堂入り》 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2024/03/13 11:03

「あいつを殺さなかったら、自分が殺される」ブル中野の告白…アジャコングとの死闘が“プロレスファンの色眼鏡”を壊した日《WWE殿堂入り》<Number Web> photograph by AFLO

WWE殿堂入りが発表されたブル中野の現役時代

金網デスマッチで起きた「金返せ」コール

 袂を分かってからの最初の一騎打ちは、90年9.1大宮スケートセンターでの金網デスマッチ。この試合は、アジャが金網からのエスケープで勝利したが、特別レフェリーのブルドッグKT(現・新日本プロレスの外道)が、ユニバーサルで一緒だったアジャに加担しての勝利だったため、ファンが怒り暴動寸前となり、せっかく増え始めたファンが離れかねない事態となってしまった。

「あの時、金網デスマッチなんてやったことないし観たこともなかったので、どうやっていいのかわからず、金網なのに普通の試合と変わらない試合をしてしまったんですよ。そうしたら最後もあんな結末だったので、お客さんが怒って試合後に初めて『金返せ』コールを浴びせられたんです。あれが本当にショックで、この悔しさを絶対に忘れないようにしようと、部屋中、トイレの中まで、嫌いなアジャの写真を貼りまくって、毎日、金網での再戦のことを考えるようにしてましたね」

 そして2カ月後の11.14横浜文化体育館、金網デスマッチでの再戦が実現。今度はノー・レフェリー、凶器自由(ノーDQ)の完全決着戦。この一戦でブルとアジャは、ファンの女子プロレスの認識を覆すほどの血だらけの死闘を展開。最後は、ブルが4メートルの金網最上段からギロチンドロップを敢行してアジャをKOし、そのまま金網からエスケープして勝利した。

前代未聞“金網最上段からのギロチンドロップ”

 今でこそ高所から飛び降りるような技は珍しくなくなったが、当時は金網最上段からのギロチンドロップなど前代未聞。凄まじいインパクトを残すとともに、ファンはこの技を敢行したブルと、それを受けたアジャに畏敬の念を抱くようになった。

 そしてこの一戦は、女子プロレスの試合としては初めて、専門誌『週刊プロレス』の表紙を飾ることとなる。ブル中野はアジャに勝利するとともに、女子プロレスを色眼鏡で見るプロレスファンの目にも勝利したのだ。

 このブル中野とアジャコングの抗争はその後も2年間続き、92年11.26川崎市体育館で、ついにアジャがブル超えを果たして決着した。奇しくもこの日のメインイベントは、全女とJWP初の対抗戦となる豊田真奈美&山田敏代vs.ダイナマイト関西&尾崎魔弓のWWWA世界タッグ選手権。ここから団体対抗戦時代に突入し、新たな女子プロレスブームが巻き起こる。

 これまでのブームとの違いは、以前はビューティ・ペアやクラッシュ・ギャルズに憧れた女子中高生中心のブームであったのに対し、団体対抗戦は新日本や全日本など男のプロレスも熱心に観ていた男性のプロレスファンが中心だったこと。

 対抗戦ブームによりついに女子プロレスは男子のプロレスと同等に観られる「プロレス」となり、その土壌は間違いなくブル中野とアジャコングの抗争が作り出したものだった。

【次ページ】 「あいつを殺さなかったら、自分が殺される」

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