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板倉滉21歳が「この1年があったから、海外からオファーが来た」監督、同僚が振り返るベガルタ仙台時代「滉は5歳差までは『タメ』だと…」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byAFLO
posted2024/03/03 17:00
2018年、板倉はリーグ、カップ戦通じて32試合3得点。ファンが選ぶ年間MIP賞を受賞。飛躍の1年を監督、同僚が振り返る
「ユース昇格組と大卒組で僕の方が4つ上なんですけど、滉は5歳差までは『タメ』だと言っていましたね(笑)。プロ1年目はいつも滉と僕だけが紅白戦から外され、2人で練習していたんです。お互いに課題を持って、トライしては失敗の繰り返し。寮の風呂場で反省会もしましたよ。僕が今もプロ生活を続けられているのは、滉とのあの2年間があったからだと思っています」
'18年シーズン、仙台でともにチームの主力となり、左サイドでコンビを組んだときは、喜びを感じずにはいられなかった。
「仙台がオファーを出す前から丹治さんに『滉を取ってください。絶対にJ1でも通用しますから』と伝えていたんです。本人にも『来たほうがいいよ』とずっと誘っていました。仙台のチームスタイルに合うし、試合にも出られると思ったので。丹治さんは以前から評価していたようですけどね」
危険なタックルにより退場処分、それを見た監督は…
板倉の働きぶりは、同期の予想以上だった。川崎F時代にはあまり見なかったサイドチェンジの長いパスをきれいに通し、そして守備面の変化にも目を奪われた。背後のスペースを取られて苦戦する姿はもはやなく、自信を持って対応していた。
ただ、すべてが順風満帆に進んだわけではない。勢いに乗り始めた矢先の3月、ルヴァンカップの横浜F・マリノス戦で前半に危険なタックルにより退場処分を受け、自らも右足首のじん帯を損傷。全治1カ月以上のケガを負ってしまう。その試合は10人で必死に耐えしのぎ、0-0のまま終了。勝ち点1をもぎ取った仲間の奮闘から学ぶことは多かったようだ。