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彼女が「うちの実家、寺なんだ」…中島翔哉との海遊びで「自分はプロ失格」と絶望→23歳引退のJリーガーはなぜ“お坊さん”になったか
text by
間淳Jun Aida
photograph byJ.LEAGUE/Takuya Sugiyama
posted2024/02/25 06:01
カターレ富山時代の五藤(旧姓:梅村)晴貴さん。かつて同僚だった中島翔哉に大きな衝撃を受けたという
「ようやくリフレッシュするのか」
そう受け取った五藤さんの予想は大きく覆された。
中島が手にしていたのはダンベルだった。浜辺で筋力トレーニングをしたり、ダッシュをしたり、場所を変えて練習を再開した。五藤さんが語る。
「J2は走り勝てないとダメだから走るぞと言って、一緒にやらされました。やらされたと感じている時点でプロ失格ですね」
グラウンド外でもサッカーの話、悪口も言わない
中島はサッカー中心の生活というより、サッカーのための生活と言えるほどプロ意識が高かった。五藤さんが運転する車に乗っている時は助手席で映像を見てプレーの引き出しを増やしたり、課題解決の方法を探したりした。サッカーノートはメモ書きでびっしり。五藤さんは「グラウンドを離れてもサッカーの話ばかりしていました。それから、人の悪口を一切言わない人でした。矛先が全て自分に向いている真のプロだと感じました」と脱帽した。
2018年に現役を引退した五藤さんは、所属していたFCマルヤス岡崎のチームスタッフを1年務めた後、僧侶の道へと進んだ。
驚いたのは昨年4月、約2年ぶりにX(旧:Twitter)を更新した時だった。2年余りの修行を終えた数日後、僧侶としてセカンドキャリアを歩むと投稿すると、数え切れないほどの連絡が来た。
「サッカー選手を引退しても気にかけてくれる方、応援してくれる方が多くて感激しました。ジュビロ磐田や藤枝MYFCのサポーターの方、さらには富山から寺に来てくださる方もいます。怪我に苦しんで選手としては満足な結果を残せずサポーターや関係者の皆さんには申し訳なく思っています。でも、サッカーをしてきて本当に良かったと感じています」
5年間のプロ生活。希望していたジュビロ磐田でのプレーも、思い描いていた海外でのプレーもかなわなかった。だが、サッカーへの心残りは一切ない。第2の人生にもつながる出会いや困難を乗り越えた経験、数字では測れない財産を手にした。
現役時代「僧侶と話したこともなかった」のに
とはいえ、競技を引退したアスリートのセカンドキャリアは、指導者やチームスタッフが王道だろう。一方、競技とは全く違う道に進むケースも少なくない。だが、ここまで意外性のある転身は珍しい。
1人の僧侶として――五藤さんの1日の始まりは早い。