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「墓場まで持っていく」平成プロレス最大の謎・ターザン後藤のFMW電撃退団はなぜ起きたか?「予兆は全く…」付き人らの証言で浮かんだ真実
posted2024/02/16 11:03
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
“平成プロレス”において最大の謎のひとつとされているのが、ターザン後藤のFMW電撃退団だ。
ターザン後藤といえば、1989年10月に大仁田厚がFMWを旗揚げして以来の盟友。’90年8月4日にレールシティ汐留で行われた史上初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチの相手であり、’95年5月5日川崎球場での大仁田の(2度目の)引退試合の相手も後藤で決まっていた。
しかし、大仁田引退試合まで2週間を切った4月23日、後藤は大田区馬込の東京イン・アネックスでミスター雁之助、フライングキッド市原とともに緊急記者会見を開き、FMW退団を発表。引退試合の相手が白紙に戻った。
後藤はこの会見でも本当の退団理由は「墓場まで持っていく」と語らず、’22年5月に肝臓がんにより58歳の若さで亡くなるまでついに語ることはなかった。そして近年、大仁田や後藤と一緒にFMWを退団した雁之助が、それぞれインタビューなどで後藤退団の“真相”を語っているが、その証言は食い違っている。
そのため真の退団理由はいまも藪の中であるが、筆者は大仁田、雁之助以外にも当時のFMW所属レスラーに後藤電撃退団についての証言をこれまで取材しているので、ここで紹介したい。
「後藤をクビにするから」大仁田は告げた
まずは“ミスター・デンジャー”こと松永光弘だ。松永は’92年2月9日、FMWのライバル団体だったW★INGの後楽園ホール大会で、史上初めて2階のバルコニーからダイビングボディアタックで飛ぶ“バルコニーダイブ”を敢行し、一躍大ブレイク。
’93年8月からはFMWに引き抜かれる形で移籍し、同年12月には大仁田と電流爆破デスマッチで対戦するが、その後はなかなかチャンスに恵まれず、同じデスマッチ系の団体であるIWAジャパンへの移籍を考えていたという。当時のことを松永はこう語る。
「あの頃、私はFMWの前座で飼い殺しにされていて、非常にストレスが溜まっていたんですよ。そんな時、IWAジャパンの浅野起州社長から誘っていただいたんですが、『FMWとの契約がまだ残っているし、大仁田さんの引退を見届けてからにしたい』と保留にしてもらっていたんです。
それで実際、大仁田厚引退ツアーの最中に大仁田さんにも挨拶しているんですよ。『大仁田さんの引退を見届けたら、IWAジャパンに行こうと思ってます』って。そうしたら大仁田さんに、『ちょっと待ってくれよ。(ターザン)後藤をクビにするから』って言われたんですね」