現実は思い通りに進まなかった。北京五輪のアジア予選で敗退。3ラウンド9分で争うアマチュアボクシングはレベルが拮抗すればするほど、勝負は時の運にも左右される。プロの頂点を極めた井上尚弥、井岡一翔ら名だたるチャンピオンたちもアマの壁に阻まれている。それでも、五輪予選敗退後にプロに転向し、大きな成功を収めるボクサーは少なくない。当然、世界王者になる可能性を持ったタレントを大手ジムが放っておくわけがない。須佐のもとにも多くのオファーが届いた。

「北京五輪予選の後、計10くらいの誘いは来ていたと思います。まだ23歳と若かったのですが、自衛隊の環境が良すぎたんですよ。競技を辞めても、指導者として残る道がありましたから、現役を引退することにしました。僕自身、ボクシングを教えるのが好きだったのもあります。いま思えば、プロの世界に行く怖さがあったのかもしれませんけどね」

ロンドンに行ける気がしてきて

　グローブを吊るして約1年半。自衛隊体育学校でのコーチ業も板に付いてきた頃だ。ロンドン五輪出場を目指す教え子に熱心に指導しているときにふと思った。

「現役のボクサーよりも、まだ自分の方がスキルは高いなって」

　指導を通して、アウトプットしているうちに頭の中が整理され、ボクシングをより深く理解できてきたのだ。

「これは自分でリングに立ったほうが早いかもしれないと思ったんです。ロンドンに行ける気がしてきて」

そして、18歳の“モンスター”に出会う

　思い立ったが吉日。2010年夏、現役復帰を決意する。大会に備えて、3週間でフライ級リミットまで約15kgの減量。毎日、オロナミンC1本の生活で手はしびれ、頬肉はげっそり落ちた。

「咀嚼しないので顎の筋肉まで落ちるんですよ。最後のほうはずっと唾を吐いていました。今の時代にそんなことをすれば、相当批判されますよね。もう10年以上前なので（笑）」

　ブランクを感じさせたのはスタミナだけ。技術は冴え渡り、瞬く間にトップシーンに返り咲く。北京五輪予選の敗退から4年――。ロンドン五輪予選に向けて、本格的に準備を始めていくと、2011年の全日本強化合宿でこれまで見たこともない若い才能と出会う。人懐っこくて、可愛さの残る高校3年生だったが、マス（寸止め）ボクシングであるパンチを見たときに度肝を抜かれた。18歳になったばかりの井上尚弥はものが違っていた。

＜つづく＞

#2に続く

「井上尚弥という存在は脅威でしかなかった」“国内最強”の軽量級オリンピアンが衝撃を受けた、高3のモンスター「本当に怪物だと思うのは…」