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「メンタル的に崩壊していた」ロッテ・小島和哉の心に響いた吉井監督の“珍問答”「ミカン畑とビートルズ」から生まれた深イイ言葉…その心は?〈2位躍進秘話〉
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2023/12/04 17:00
今季は大一番の試合で頼りになる投球を見せた小島
忘れもしない。近くでギターを売っていたのは自宅から電車を乗り継いで1時間ほどかかる海南市の商店街。1万円札を握りしめてお店に入り、名のあるブランドではなく日本製の聞いたことがないメーカーのギターを手に入れた。それを毎日のように弾いた。宝物だった。高校時代には部活の合間に軽音楽部に借りてエレキギターを弾かせてもらった。色々な人に聞いてもらうのが好きだった。
その時、こう感じていたのだという。
「ちょっと音が半音外れていても情熱をもって勢いで弾けば、相手に伝わることがわかった。それは当時の自分にとってはロックのギタリストのイメージ。音がずれても勢いのある音の方が聞いている方はノッてくる」
いきなり「この馬を知っているか?」
思春期の思い出をプロ野球の監督となった58歳の時に思い返し、悩める若き左腕に、ピッチングの例えとしてぶつけた。情熱をもって伝えた。ピアノとギターの誤解こそあったものの小島にとっては印象深く、心に響いた。
ちなみに小島はもう一つ、指揮官から今シーズン、例え話を聞いている。これも忘れられない。5月まで5勝を挙げるなど順調なシーズンを送っていたが突然、勝てなくなった。6月は未勝利。7月も勝てない。7月15日のイーグルス戦(ZOZOマリンスタジアム)では4回3分の1で6失点KO。試合後、監督から「愚痴を聞いてあげるから明日にでも監督室においで」と優しく声をかけられた。
「本当にどうしていいか分からない状態だった。メンタル的にも崩壊していた」と小島。「宜しくお願いします!」と頭を下げて監督室を訪ねると、いきなり、「この馬を知っているか?」と一頭の馬の写真を見せられた。
競馬に興味がない小島には、まったく見当もつかない。馬主をしている吉井監督の馬かと一瞬は思ったが、その写真は少しばかり古かった。無理もない。その馬は小島が生まれる前の1991年にJRAの重賞・ラジオたんぱ賞を制し、93年の七夕賞、オールカマーなどを制するなど活躍し人気を博したツインターボだった。
「調べて動画を見てみてくれ。ワシが好きな馬。とにかく逃げる馬。いつも大逃げを打つ。結局、ゴールまで体力がもたなくて負けることもあるが、そのまま逃げ切って勝つこともあった。ワシはその姿に感動した。それくらいの入りでもいいのではないかな」
伝わった指揮官の熱い想い
小島はキョトンとした。まさか馬を例えに出されるとは思わなかった。ましてや競馬を知らないから言っている意味が全く分からず、イメージもわかない。最後には「ツインターボになれ」とまで檄を飛ばされた。ただ、指揮官のなんとかしてあげたいという熱い想いは伝わった。
「初回から後先考えて投げるのではなく初回から飛ばしていけということだなと。確かに自分はどうしてもペース配分を意識するあまり、初回は丁寧に丁寧にと行き過ぎていた」と小島。ギターもツインターボも伝えたいメッセージはほぼ同じ。大胆に、勢いよく投げて欲しい、というメッセージだった。