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「救急車!救急車!」元アイドルレスラー府川唯未が急性硬膜下血腫で倒れた日の真実…涙で語る、亡くなった門恵美子さん(享年23)への思い
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/11/23 11:01
元人気女子プロレスラーの府川唯未。引退の原因となった2000年の大ケガについて振り返った
「府川唯未のプロレスはもうできないなと思ったから」
府川 プロレスっていろんなスタイルがあるから、いろんな関わり方ができたと思うけど、技を正面から、顔面から受けれるっていう自信が私にはあって。体は小さいけど、逃げも隠れもせず、受けれるっていう自信があったんですね。それは、全女のときに豊田(真奈美)さんから、「ほんとに壊れないね」って言っていただいたのが、ずっーと残っていて。小さいぶん、人より豪快に技を受けたいと思ってたんですね。でも……。でも……。府川唯未のプロレスはもうできないなと思ったから……。もう残る理由はないと思いました。……すいません。嫌だー。私、こんなにボロ泣きすると思わなかった……。
――泣いている写真は、絶対に使われますよ(笑)。
府川 そうですよねっ(笑)。やっばーい!
――「門恵美子」さんの名前をメディアに載せられてよかったです。
府川 門のことがあってからはもう、悪夢でしかなくて。そんななかでも、次の日も、また次の日も試合は組まれていて。選手たちは変わらず闘っていかないといけなかった。幸いにも私は開頭手術をしていないので、治れば、もっと待っていれば、もしかしたら数年経ったらプロレスの世界に戻れたかもしれないけど、そういう考えはなかったです。
「記憶に残れているなら、こんなにうれしいことはない」
――志なかばの引退だから、「やりきった!」と胸を張って言えないかもしれないけど。
府川 言えないですよね。当時、三田(英津子)さんと下田(美馬)さんがアルシオンに上がってこられて、「VIP」っていうユニットがはじまったばかりだったので、ここからというときだった。でも、そのときの自分ができる100%は常に出してきたから、結果は残せてないかもしれないけど、後悔はまったくなくって。ただ、自分のすべてをプロレスが占めていたので、それがなくなったときはペラッペラな人間になっちゃったような、そういう喪失感はありましたけどね。でも、言っていただけたんです、「記録は残せてないけど、記憶に残っている」って。7年ぐらいしかやってないのに、みなさんの記憶に残れているなら、こんなにうれしいことはないなって。
――アルシオンで締めくくることができたのは、最高のフィナーレじゃないですか。
府川 ほんとにそうで、ちょっとお客さんが減りだした時代ではあったけど、選手層は厚くて、いろんな選手に見送っていただいて、あったかい引退式をやっていただけた。そこで卒業できたっていうのは、すごい幸せだったなと思いますね。
《インタビュー第3回では、プロレスラーになった娘・きずなへの思いについて聞いた。つづく》
※03年6月に活動を停止したアルシオンは24年1月12日、東京・新宿FACEで「卒業イベント」を開催する。