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「ヒデトシ・ナカタは素晴らしいパサーだった」W杯優勝の名MFジーニョが語る“日本と横浜フリューゲルス愛”「もしJクラブで働くチャンスがあれば…」
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![沢田啓明](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2023/11/12 17:00
![「ヒデトシ・ナカタは素晴らしいパサーだった」W杯優勝の名MFジーニョが語る“日本と横浜フリューゲルス愛”「もしJクラブで働くチャンスがあれば…」<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/700/img_8e0b920b2e2843f52a5d2875dc0f6be470004.jpg)
ブラジル代表の名手であり、横浜フリューゲルスでも輝いたジーニョ。いまは何している?
「リバプールでの試合は、左CKからのクリアボールを左足の外側でカーブをかけて決めた。2点目は、右からのパスを受けて、ニアサイドに強く蹴った。どちらも狙い通りのゴールだったから、良く覚えている。
当時、日本代表は1994年W杯出場を惜しくも逃し、1998年大会での初出場を目指して強化に励んでいた。いずれの試合でも日本も果敢に攻めて何度も決定機を作っており、点差ほどの力の差はなかった」
マエゾノとヤマグチ、対戦対手ではナカタと…
――当時と現在を比べて、日本代表の進化をどう考えますか?
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「当時はJリーグ創設から間もない頃で、日本のフットボールはアマチュアからプロへの過渡期にあった。その後、Jリーグのレベルが向上し、選手の個人能力も高まり、近年は大勢の日本人選手が欧州でプレーしている。そして、彼らが欧州で得た経験と自信を代表へ持ち帰り、日本代表は格段の進歩を遂げている。1998年以降、欠かさずW杯に出場し、直近の2大会で続けてグループステージを突破しているのがその何よりの証拠だ」
――日本で「これは素晴らしい」と思った選手は?
「フリューゲルスで一緒にプレーした選手では、華麗なドリブラーのマエゾノ(前園真聖)、攻守に貢献したヤマグチ(山口素弘)ら、対戦した選手では素晴らしいパサーだったナカタ(中田英寿、当時ベルマーレ平塚)、屈強で闘志溢れるCBだったアキタ(秋田豊、当時鹿島アントラーズ)らだね」
フリューゲルス消滅はとても残念だった
――あなたがブラジルへ帰国してパルメイラスへ復帰した後の1998年末、横浜フリューゲルスはスポンサーの経営不振のため存続が難しくなり、横浜マリノスに吸収合併されました。この知らせをどう受け止めましたか?
「スポンサーが経営難に陥っていたことは全く知らなかったから、とても驚いた。僕はフリューゲルスの自由奔放な雰囲気が好きだったから、非常に残念に思った」
――フリューゲルスは、最後の大会となった天皇杯で「奇跡の優勝」を遂げました。
「選手たちが『クラブが消滅する』という最悪の事態に直面しながら、大きなショックを乗り越え、強敵を次々に倒して偉業を成し遂げたことに驚き、感動した。僕も、フリューゲルスという素晴らしいクラブでプレーできたことを誇りに思う」
――生まれ育ったのは、リオ郊外のノーヴォ・イグアスーですね?