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「完璧に舐められていましたね」“噛ませ犬”扱いの日本人ボクサーが27戦全勝のホープを秒殺TKO…石田順裕がラスベガスを熱狂させた伝説の夜
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byNaoki Fukuda/AFLO
posted2023/11/12 17:02
2011年4月9日、石田順裕は27戦全勝のジェームス・カークランドを初回TKOで撃破。『ザ・リング』のアップセット・オブ・ザ・イヤーに選出された
全勝の有望株の“踏み台”に「完璧に舐められていた」
暫定王座陥落後、年が明けた2011年に渡米し、試合のあてのないままロサンゼルスでトレーニングを始めた。ジェームス・カークランド戦のオファーが届いたのは3月下旬、試合まで2週間というタイミングだった。カークランドはミドル級でデビューから無傷の27連勝をマークし、うち24のKO勝利を誇る強打者だ。2度逮捕されて服役し、2年のブランクを経て3月の復帰戦に勝利したばかりだった。
石田はアメリカで初となる試合のオファーを受けた。自分が完全なBサイド、アンダードッグであることは百も承知だ。石田はあくまでも、ブランクを作ったカークランドが復調していくための“踏み台”だった。前日計量では、その事実を強く実感させられた。
「計量のときに契約書にサインするんですけど、ファイトマネーが事前にやり取りしていた額の半分なんですよ。トレーナーの大介が怒って、『だったらやらない』と本気で帰ろうとした。そうしたら、『分かった、分かった、最初の金額でやろう』って。完璧に舐められていましたね。態度もバカにするような感じでしたから……」
長いキャリアを振り返っても、このときほど気持ちの落ち着かない試合はなかった。試合の1カ月前、3月11日には東日本大震災が日本を襲っていた。震災が発生したとき、石田はアメリカに滞在していた。街をのみ込む津波や原発から立ち上る煙の映像を目にして、ただただ呆然とした。関西に住む家族の安全こそ確認したものの、とても心穏やかにいられる状態ではなかった。
「もうすべてが訳の分からない状態」という中で迎えた4月9日のカークランド戦だったが、だからこそ試合に集中するほかなかったのかもしれない。舞台はテレビでしか見たことのない、憧れのMGMグランドガーデンアリーナである。気持ちは自ずと高まった。
「MGMはすごい雰囲気でしたね……。スーパースターのオスカー・デラホーヤがいて、同じリングのメインでは、エリック・モラレスとマルコス・マイダナが試合をする。本当に夢の世界で、リングに上がる前は足の震えが止まりませんでした」
日の丸の鉢巻きを巻いてリングインし、カークランドと対峙する。石田の足は、もう震えていなかった。