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落合博満が語った《2010年優勝》“オレ流”ドラゴンズと岡田阪神の意外な共通点…“5年連続失策数ワースト”だったタイガースが甦ったワケ
text by
掛布雅之Masayuki Kakefu
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/11/04 11:00
2010年に優勝した中日の落合監督と今季優勝の阪神・岡田監督。その勝利にはある共通点が…?
つまり、中日優勝の要因は落合監督が言う通り、セカンド荒木とショート井端の二遊間がしっかり守ったことによって勝ち取った「守り勝つ野球」だったのだろう。
それでは阪神は、「守り勝つ野球」ができていたのだろうか。
一期目(2004~08年)の岡田阪神時代には、それができていたといえるだろう。
岡田監督が第一次政権で初めに着手したこと
2003年のシーズンオフのことだ。
岡田は、星野仙一監督から次期監督を託されていた。岡田はそれを受けて、チームの変革を考えたという。そこでまず初めに着手したことが、「鳥谷敬を獲得する」ということだった。
鳥谷は、岡田にとっては同じ早稲田大学の後輩にあたる。鳥谷のプレーについて大学関係者に聞くと、「大学4年間、試合で一度も送球ミスをしたことがない」というものだった。実際に母校のグラウンドで鳥谷を見て、ショートとしての守りの強さがあると感じ、「今後10年間、ショートを任せられる選手だ」と感じたという。
岡田は2003年度のドラフト自由獲得枠で鳥谷を獲得すると、早速ショートに抜擢した。今までショートを守っていた藤本敦士はセカンドに、セカンドを守っていた今岡誠はサードにそれぞれコンバートした。藤本は肩が強いほうではなかったため、ショートでの送球に不安を抱えていたし、今岡は守備の負担を減らして打撃に専念させたいためという、それぞれの力を生かせるコンバートだった。