- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
「おい、サジ」ふらりと現れた岡田彰布監督が明かした18年前の“答え合わせ”…元リリーフ右腕・桟原将司が振り返る「岡田語録」に隠された“信念と情”
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byJIJI PRESS
posted2023/10/20 11:31
最終回をきっちりと抑えた桟原を岡田監督が出迎える(2004年)
桟原ら3人は、投手コーチの中西清起によく言われた。
「JFKを守らなきゃいけないポジションを3人でやりなさい。お前らが止めにいかなかったら、どこか、8、9回、足りないイニングで、負けているところでも久保田や球児を投げさせないといけない。必ずイニングを消化してくれ」
「おい、サジ」岡田監督の言葉に…
今季、岡田がクローザーの岩崎優に繋ぐ継投で見せたように、勝ちパターンを複数用意する岡田野球の原型である。
桟原は言う。
「あの時、展開によって、ある程度、どこで投げるか読めるので、やりやすかったです。岡田監督は役割分担も明確でした」
岡田は親しみを込めて桟原を「ボールボーイ」と呼んでいた。会話こそ少なかったが、印象に残るやり取りがある。中継ぎ一筋でプロ123試合に登板した中、一度だけ、05年に先発の可能性があった。
当時、リリーフ陣の最年少投手が試合直前に野手が行うシートノックの球出しを手伝う決まりがあった。そのため、23歳の桟原は練習終了間際になると、いつもベンチで待っていた。ある日、東京ドームの三塁側ダッグアウトに座っていると岡田に話しかけられた。
「おい、サジ。ナイターは7時からしか、テレビ中継がないからなあ」
唐突に言われ、桟原は首をかしげた。
〈何の話をしてるんやろ〉
岡田監督指揮下で「黒星なし」
すぐに数日前の中西との会話を思い出した。「先発したいか」と聞かれていた。先発ローテーションの谷間の日があり、能見篤史とともに、桟原も候補に挙がっていた。
「先発しても3回くらい、という意味合いだったんです。だから、テレビに映るか分からんぞってことだと思います。あの時はまだ2年目だったので、先発への思いはありました。でも、自分が中継ぎで投げた時に打ち込まれて、なくなってしまって」