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大橋秀行の左ボディで王者が転げ回り…「一番強いヤツと闘いたい」日本ボクシング界の救世主が“最強の挑戦者”リカルド・ロペスを選んだ理由 

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森合正範

森合正範Masanori Moriai

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photograph byKYODO

posted2023/10/09 18:07

大橋秀行の左ボディで王者が転げ回り…「一番強いヤツと闘いたい」日本ボクシング界の救世主が“最強の挑戦者”リカルド・ロペスを選んだ理由<Number Web> photograph by KYODO

1990年2月、王者・崔漸煥を左ボディでKOし、跳び上がって喜ぶ大橋秀行。日本人世界王者不在の時代にピリオドを打った

電車に乗ればファンが殺到、官邸にも招かれ…

 観客は狂喜乱舞。叫び、手を叩き喜んでいる。「バンザイ」コールが自然発生的に沸き起こる。日本ボクシング史に刻まれる名場面となった。

 だが、大橋の目に飛び込んできたのは、歓喜の中、ただ1人、寂しくタオルを持ち、隅にいる松本清司の姿だった。ヨネクラジムにおいて、「鞭」の役割で大橋に厳しく接してきたトレーナーだ。

 リング上で勝利者インタビューが始まった。

「世界王者になったことより、連敗を止められたことが嬉しい」。そう言うと、「松本先生にボディを狙えと言われて倒せました」と続けた。

 たとえ興奮していても、気遣いをする大橋らしいコメントだった。

「でもね、実はあれ、嘘なんです。松本先生の姿を見て、咄嗟に出てきちゃったんですよ。その後も松本先生は何も言わないから、てっきり怒っているのかな、と……。でも初防衛戦に向けて合宿したとき、酔った松本先生が『大橋、あのときありがとうな。名前を出してくれて本当に嬉しかった』と何回も言ってくれました」

 試合前、後輩の川島郭志が言っていたように世界が変わった。夜のニュース番組に“はしご出演”し、ハイヤーで自宅まで送ってもらった。翌日、いつも通り電車に乗るとファンが殺到してパニックになった。当時の首相、海部俊樹から官邸にも招かれた。

「世界チャンピオンって、こんなに変わるんだなと。歩いていると人だかりも凄かった」

 単に勝っただけではない。絶えず強者に向かっていった大橋が、好勝負の末にベルトを巻き、「冬の時代」に終止符を打ったからこそ、日本中が熱狂し、評価されたのだ。

 崔vs.大橋から4日後、東京ドームでマイク・タイソンがジェームス・ダグラスに10回KOで初めて敗れた。立て続けにボクシングが世間から脚光を浴びた1990年2月。この2試合の後、辰吉丈一郎、鬼塚勝也、ピューマ渡久地の「平成の三羽烏」が台頭し、ボクシングブームが起こった。

【次ページ】 「謎に包まれた最強の挑戦者」リカルド・ロペス

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