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「日本に帰化したり、通名にする選択肢もあったはず」“朝鮮高校初の”ラグビー日本代表、李承信22歳の覚悟…朝鮮高校の現実「年々生徒数が減っている」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byGetty Images
posted2023/10/07 11:11
9月28日のサモア戦。後半36分から途中出場し、W杯デビューした李承信(22歳)
「朝鮮学校は高校無償化も対象外になっていますし、毎月かかるお金だって一般的な高校の何倍にもなります。そういう背景もあって、年々生徒数も減ってきています。だからこそ、承信は結果を出して、大阪朝高でラグビーをやりたいと入学してくる子を少しでも増やしたいと高校時代から言い続けていました。いまは日本代表でプレーしていますが、根底にあるのは同胞や後輩たちへの思いなんだと思います」(朴祐亨さん)
大阪朝鮮高は、過去20年間でも花園ベスト4に3回、ベスト8に2回進出するなど実績を残している。だが、花園で上位を目指す他の常連校が部員100人を抱えることが珍しくないなか、その半分にも満たない部員数で長年戦ってきた。
大阪朝鮮高の全校生徒数は200名を割り込み、ラグビー部に入るのは1学年10~15名ほどだという。在日コリアンのなかでも一般の学校に入学する割合が年々増えてきており、ラグビー部の部員確保も厳しい状況である。
中2の承信が「桐蔭学園高から3トライ」
そんな逆境でも、李承信は迷うことなく大阪朝鮮高に進学し、ラグビーに打ち込んだ。
入学前のエピソードについて高校時代の恩師である権晶秀(コン・ジョンス、大阪朝鮮高ラグビー部前監督)さんは、こう回想する。
「毎年、岐阜県の数河高原(飛騨市古川町)で中学生のラグビー大会があるんです。そこには、多くの有力校のラグビー部がスカウトに来る。中3の承信は色んな高校から声を掛けられて、引く手あまたの状況でした。
その大会で選手たちはスカウトからプレゼントされた高校のTシャツを着たりするんですが、承信がどこの学校のを着ているか見ていたら、ちゃんと朝高のTシャツを着ていて。2つ上のお兄ちゃんが朝高にいたこともあったと思いますが、決して恵まれた環境でないなかでも、朝高でやる価値を自分なりに見出していたんだと思います」
権晶秀さんが李承信がラグビーをする姿を初めて見たのは中2のとき。兄がプレーしていた関係で、大阪朝鮮高の合宿に数日間だけ承信が参加したことがあったそうだ。その際に大阪朝鮮高の1年生チームに入れて、練習試合に起用したこともあったという。