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“羽生にらみ”に、年上の挑戦者が思わず「この場から離れたい…」羽生善治全冠制覇を許した“終盤の魔術師”が語る「にらみの効力」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTadashi Shirasawa
posted2023/10/17 06:01
盤上を鋭い視線で見つめる「羽生にらみ」。7冠を目指す羽生善治は、代名詞とも言えるこの動きをして、挑戦者を恐れさせた
この対局の数年前、羽生を含めて棋士仲間数人とオーストラリアへ旅行したことがあった。森は例のごとく、カジノのブラックジャック台に張り付いた。まだ未成年だった羽生は後ろでそれを見ていたのだが、森に流れがきたタイミングで手銭を渡してきて、にっこりと微笑んだ。
森に比べれば、酒も賭博も控え目ではあったが、羽生は紛れもなく勝負師の眼を持っていた。そしてこと盤上においては、能面の裏でとびきりの賭けを打ってくる。
結果的に、魔術師も、名人戦の森下と同じ穴に落ちたのだ。
あのカープ帽の少年が…
カープ帽の少年が妙に思い出される。
森を相手に平打ちで挑んだ少年は当然のごとく敗れたのだが、その眼に諦めの色がまるで浮かんでいなかった。だから、森は席を立とうとする少年に声を掛けざるをえなかった。「もう1局やるかい?」
すると少年はもう駒を並べ始めていた。結局、A級棋士の森は12歳の少年と3局も指すことになった。
振り返ってみれば、羽生の勝負への執着というのは、あの頃から、負けるたびに堆積し、巨大化してきたのかもしれない。
森は王座戦に0勝3敗のストレートで敗れ、防衛を許した。
あらゆるものが羽生さんの七冠への道をつくっていく
1996年2月14日。日本列島を寒波が襲う中、羽生は再び七冠に王手をかけていた。
六冠を守り、唯一、持っていなかった谷川の王将への挑戦権をつかみ、そしてこの日まで3勝0敗と圧倒していた。
あと1勝。歴史的な瞬間を目撃しようと、山口県の西端、日本海をのぞむ「マリンピア・くろい」には、入りきれないほどのファンとメディアが押し寄せていた。
森下は羽生が生み出した熱狂が、時代のうねりになるのを感じていた。
《集団催眠というと大げさかもしれませんが、あらゆるものが羽生さんの七冠への道をつくっていく、という感じがありました》