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“羽生にらみ”に、年上の挑戦者が思わず「この場から離れたい…」羽生善治全冠制覇を許した“終盤の魔術師”が語る「にらみの効力」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTadashi Shirasawa
posted2023/10/17 06:01
盤上を鋭い視線で見つめる「羽生にらみ」。7冠を目指す羽生善治は、代名詞とも言えるこの動きをして、挑戦者を恐れさせた
あの小学6年生が今、六冠王として棋界を席巻している。森はどこかでそんな羽生との勝負を愉しんでいた。
森が「魔術師」と呼ばれるのは、その逆転の秘密が誰にもはっきりとはわからなかったからだ。ただ森に言わせれば、マジックにはタネも仕掛けもあった。
《例えば、数学は方程式に数字を当てはめて答えを求めますが、私は昔からその答えが先に見えてしまう。将棋でも同じなんです。他の人よりも早く詰み手が見えるので、そこから逆算して打っていけばよかった》
勝負師の血が騒ぐ
もうひとつは勝負師の血であった。
初めてのギャンブルは17歳の時だった。一風変わった先輩棋士に競輪場へ連れて行かれた。プロ棋士になってからは月の25日間、将棋会館近くで麻雀を打ち、そのうち15日間が徹夜だった。一睡もせず対局をこなし、また雀荘に戻っていく。さすがに昇級、降格の節目には封印したが、森はギャンブルを将棋の肥やしにしていた。
他の棋士のようにタイトルへの欲もなく、勝負の際を愉しむことができればそれでよかった。先んずれば怠り、後れれば焦る。将棋であれ、麻雀であれ、トランプであれ、勝負を賭けた土壇場でこそ露わになるどうしようもない人間心理を逆手に取って勝つ。それこそが人生の愉悦だった。
《私にとってギャンブルは将棋勘を養うのに必要なものでした。将棋もその一種だと見ていた。もし私がギャンブルを覚えないで将棋だけを指していたら、おそらくタイトルも取れていないと思います》
将棋を覚えたのは16歳だった。戦後生まれの棋士では突出して晩学だった。そんな森が、36歳で初タイトルを取り、42歳で谷川から王位を奪えたのは特殊な才能と、稀有な人生観を持っていたからかもしれない。
この場を離れて、ひとりになりたい
ところが有馬の夜、その魔術師が得意の終盤で立ち往生している。