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藤井聡太「天才に敗れた男たち」の痛恨…記者が新幹線の中で聞いた“渡辺明のうめき”「終盤力が違い過ぎる…」広がり始めた“恐れ”の正体

posted2023/10/17 17:00

 
藤井聡太「天才に敗れた男たち」の痛恨…記者が新幹線の中で聞いた“渡辺明のうめき”「終盤力が違い過ぎる…」広がり始めた“恐れ”の正体<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

前人未到の八冠を達成した藤井聡太

text by

大川慎太郎

大川慎太郎Shintaro Okawa

PROFILE

photograph by

Keiji Ishikawa

史上初の八冠全冠制覇を成し遂げた藤井聡太。どこまでいっても頂点ということはありません――。棋界が生んだ若き英雄は、二冠を奪取したのち、こう語っていた。2020年、史上最年少二冠を達成した2つのタイトル戦を、棋士たちの言葉で回想する。《全2回の前編/後編につづく

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 言葉を選ぶ数秒は、あの夏の出来事を反芻するための時間だったのかもしれない。

 2020年の夏、藤井聡太が史上最年少二冠を達成した2つのタイトル戦について棋士たちに尋ねると、最初の言葉を発するまでに、必ず少しの間があった。

 棋聖戦では渡辺明、王位戦では木村一基というトップ棋士2人を相手に、合わせて7勝1敗。しかも8戦とも、棋士の目から見ても驚異的かつ劇的な内容だった。

 最初の衝撃は、新緑が美しい初夏に訪れた。6月8日、棋聖戦五番勝負第1局。

 立会人を務めた深浦康市が振り返る。

「藤井さんはいつもと変わらない様子で、軽装でしたね。緊張しているようには見えませんでした」

 世界中を翻弄していたコロナウイルスの影響で対局スケジュールが押され、藤井が史上最年少でのタイトル挑戦を決めたのは、開幕戦のわずか4日前だった。

 藤井はスーツ姿で、足元はスニーカー。タイトル戦用の和服の新調は間に合わなかったのだ。初めて踏む大舞台だったが、三冠を保持する渡辺明を相手に序盤から溌溂と駒を運ぶ。

「度肝を抜かれました」

 93手目、盤上に閃光が走った。

 ▲1三飛成――。

 藤井は玉の次に大事な飛車を捨てて敵玉に迫ったのだ。

「いくらなんでも指しすぎだろう」

 盤を挟んでいた渡辺も藤井の信じ難い踏み込みに疑念を抱いたが、心中の黒雲はすぐに消えた。自玉はあっという間に包囲されたのだ。盤上の景色がガラッと変わったことにショックを受けたが、このままでは終われない。渡辺は藤井玉に王手の連続で迫った。AIの無機質な評価値は藤井必勝を示していたが、深浦は「観ていてこれほどハラハラドキドキした将棋は珍しい。人間にはどう見ても際どかった」と証言する。

 だが藤井は一人、自玉に詰みなしと見切っていた。16手連続の王手で肉薄した渡辺は静かに頭を垂れた。

「度肝を抜かれました」

 この深浦のセリフが本局のすべてを表している。とてつもない何かが起こるのではないか、という予感。将棋に関わる全員が、この夏の結末を思い描き始めていた。

 20日後の棋聖戦第2局。

 騒然としたのは、渡辺が藤井陣にちょっかいを出した後だった。42手目、藤井が守備の金を前線に押し出し、飛車を戦場に転回したのである。「相手のターンなのに、ディフェンダーを前線に出して強く迎え撃った」とも例えられたこの守備は、一部の棋士が絶賛して、メディアでも喧伝された。

 だが真に語られるべきは58手目だった。

【次ページ】 関係者の間に広がり始めた「期待と“恐れ”」

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