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大谷翔平とダルビッシュ有が送った“元女房役”へのメッセージとは…2人の「世界一投手」に愛された大野奨太が貫いた“いぶし銀”の男道
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/09/26 11:02
ダルビッシュや大谷に愛された捕手・大野(左)が今季限りでユニフォームを脱ぐ決断を下した
岐阜県大垣市出身。岐阜総合学園高では甲子園にはあと一歩で届かなかった(2年連続準優勝)が、東洋大では東都リーグで4連覇、明治神宮大会2連覇と黄金期を築いた。個人でもベストナインが4度、MVPに1度選出され、4年時には主将としてチームを束ねた。そのリーダーシップと捕手としての実力を買われ、日本ハムからドラフト1位で指名された。そこで出会ったのが、すでに沢村賞(2007年)に輝き、チームの絶対的エースだったダルビッシュ有(パドレス)だった。入団は4年違いだが同学年。大野が入団した09年は、ダルビッシュが胴上げ投手になった第2回WBCが3月に開催された年である。
「僕は入団直後でした。ダルビッシュが最後、三振に打ち取って世界一になったじゃないですか。あの雄叫びをあげる姿が、今も映像で頭に残っています」
ダルビッシュとの衝撃の出会い
日本のエースと新人捕手は、そこからバッテリーを組むことになる。球種が豊富な上に、どれを取っても超一級。周囲から見れば何を投げさせても打ち取れるのではと思えるが、実際にリードする捕手からすれば何が正解なのかわからない。どれもが正しく、どれもが違う気がしてくるのが難しい。
そのダルビッシュが2011年限りで大リーグに移籍し、13年に日本ハムに入団したのが大谷翔平(エンゼルス)である。大野は二刀流の足跡を間近で見てきたから、その巨大な才能も努力も知っている。引退会見では「思い出の試合」を日本ハム時代と中日時代に分けて披露したが、日本ハムではやはり大谷が投げた試合を選んだ。16年9月28日の西武戦(西武プリンスドーム)。援護も1点だけだったが、大谷が打たれたのは1安打だけ。15三振を奪い、リーグ優勝を決めた。その試合でマスクをかぶっていたのが大野だった。
2015年の最優秀バッテリー賞に選ばれた2人は、17年限りで同時に日本ハムを離れた。ダルビッシュと同じように、大谷も今春のWBCでスライダーを投げ、空振り三振で胴上げ投手になった。あのシーンは日本中のファンの記憶に焼き付いているはずだ。2人の世界一投手の球を受けた男。引退を決めたことを知ったダルビッシュと大谷も、ねぎらいの言葉を送ってくれたそうだ。