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悔やむのは“あの”先頭打者本塁打より「2点目」…今夏の甲子園“最も多くの試合で投げた男”仙台育英・湯田統真が振り返る2年半 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph byNanae Suzuki

posted2023/09/19 11:06

悔やむのは“あの”先頭打者本塁打より「2点目」…今夏の甲子園“最も多くの試合で投げた男”仙台育英・湯田統真が振り返る2年半<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

背番号は「10」ながら、1回戦から決勝まで全試合に登板した湯田統真。マウンドでの笑顔が印象に残ったファンも多かった

 実は湯田は全試合で先発するつもりだったという。「逆に先発じゃなかったら何でなんだろうって思うくらい」(本人)万全な準備はしてきたつもりだった。結果として全6試合でマウンドを任されたのだから「どんな形でも投げられたことは良かった」と頷く。

中学時代は130km台だったストレート

 今でこそ“150km右腕”と騒がれるまでになったが、入学時のストレートは最速133km。アベレージでも120km後半から130kmほどだった。当初は「高校に入学して140kmが出せたらいいなと思っていた」(本人)という。

 中学時代は軟式野球部に所属していたが、同学年は湯田本人のみ。1学年上、1学年下には各10人の部員がいる偶然にも極端な部員編成だった。福島県の白川の関の近くにある泉崎村出身で、のどかな田園風景の中でのびのびと育った。

 そこから父の母校でもある東北の名門・仙台育英の門を叩いたが、最初は同級生らのレベルの高さに圧倒された。

「入学した日に(高橋)煌稀が140kmを出して、田中(優飛)も仁田(陽翔)も有名な投手で、コイツらすげえなって。でも、自分が追いつこうとか、そんなことは考えていなかったです。あの頃は自分のことに集中するのに精いっぱいでした。自分はそこまでの選手ではなかったので」

 ハイレベルな同級生から刺激を受けて、今では高橋と肩を並べる右腕になった。取材のたびに高橋の存在について尋ねられるが、これまで高橋をライバルと思ったことは一度もないという。

「煌稀はいつも真面目に練習をしていて、自分もそんな姿を見てちゃんとやろうと意識を高められる存在です。ライバルではなくお互いを高め合っていける仲間という感じです」

 そんなかけがえのない仲間とは来年からは別々の道を歩み、投げ合う機会があるかもしれない。今後こそ“良きライバル”のような関係性になっていくのではないだろうか。

「これからは球速以上の質の高いストレートを投げたいですし、スライダーももっと曲げて空振りを取れたらいいなと思います。間合いの使い方や打者との駆け引きなども含めて、投げるだけでなくピッチャーとしての奥深さを出していきたいです」

 低いトーンでも、丁寧かつ自身の言葉でしっかりと意志を伝えられるところも湯田のストロングポイントだ。

「芯があるとか流されないねってよく言われます。自分の考えをしっかり持っていかないと何も始まらないので、そういうところは大事にしていきたいですね」

 今夏が天井ではない。湯田統真の成長は、まだまだ現在進行形だ。

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