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“バウアーが慰めた1回10失点”どん底の立浪中日だが…「張本勲に“1試合当たり”で肉薄」大島洋平2000本安打はアッパレ! 次の達成候補は?
posted2023/08/29 11:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
JIJI PRESS
NPBで2000本安打を初めて記録したのは、巨人の川上哲治。1956年5月31日の中日戦、偉業達成ということで、全国紙の一面に「川上、2000本安打」の見出しが躍った。まだ長嶋茂雄もプロ入りしていない時代のことだ。
あれから67年、8月26日のDeNA戦で中日、大島洋平が55人目の2000本安打を達成した。
「55人も」と思う人がいるかもしれないが、プロ野球87年の歴史、1万人以上の選手が公式戦に出場する中で、たったの55人、大記録には違いがないのだが――その割に扱いは小さかったように感じられた。
快挙の前日に起きた“1回10失点”
それは、中日ドラゴンズがこのところ下位に低迷していることも大きいかもしれない。
中日は首位阪神から28ゲーム差の最下位。昨年も最下位だったが、昨年は首位ヤクルトから15ゲーム差だった。今年はさらに引き離されている。
前日の8月25日のDeNA戦では、バウアーに10勝目を進呈しただけでなく、9回にマウンドに上がった近藤簾は何と10失点、1イニングで62球を投じた。これには対戦相手であるバウアーが囲み取材で自ら切り出し、近藤をフォローする異例のコメントを残している。
また大島が2000本を打った8月26日の試合も0-2でDeNAに負けている。
2004年に中日監督に就任した落合博満は、8年間の在任期間中、リーグ優勝4回、日本一1回、2007年以降はすべてでポストシーズンに進出し、中日に空前の黄金時代をもたらした。
しかし落合監督が退任した2012年以降、昨年までの11年でポストシーズン進出は2回だけ。5位5回、最下位2回、シーズン前の下馬評でも名前が上がらない弱小チームになってしまった。
中日球団史上最多安打選手だった立浪和義監督は、中日球団にしてみれば満を持しての起用だったと思われるが、現在のところ、チーム浮上の兆しはない。
投手陣は優秀で、髙橋宏斗、柳裕也、小笠原慎之介の3人が規定投球回数に達している。またクローザーのライデル・マルティネスは無双と言ってよい活躍だが、打線は脆弱で12球団最少の50本塁打しか打っていない。広い本拠地バンテリンドームをもてあましている印象が強いのだ。
立浪、高木、荒木…なぜか中日は二塁手の達成者が多い
中日ドラゴンズは、読売ジャイアンツ、阪神タイガースと共に1936年、日本プロ野球が創設されたときから存在した老舗球団だ。
この球団ひと筋で2000本安打を記録した打者は、大島で5人目(中日在籍時に達成は谷繁元信と和田一浩もいる)となった。