甲子園の風BACK NUMBER
最後まで爽やかだった履正社の夏…「府大会ノーシード」「12連敗の大阪桐蔭戦」「キャプテンの苦悩」“高くはなかった前評判”から目指した甲子園→日本一の未来図
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byNanae Suzuki
posted2023/08/28 11:05
3回戦で仙台育英高に敗れた履正社高。「事実上の決勝戦」との声もあったほどの好カードだった
森澤は続ける。
「マウンドとホームベースの距離はどの球場も同じなんですけれど、見え方が違うんですよ。茨木グラウンド(自校グラウンド)でずっと試合をしていて、いざ他の球場で、となると(感覚を)掴めなかった部分も少しはありました」
春の公式戦を思わぬ形で終えた履正社は、5月から6月にかけては近隣地区の強豪校と多く練習試合を組んだ。例年はそのほとんどを自校のホームグラウンドで行ってきたが、今年はすべて対戦相手の学校側のグラウンドへ。好投手のいる学校とも試合を組み、勝負勘を養った。実戦の場数を踏むことで1点に対する執着心が徐々に強くなった。
5月からは毎朝授業開始前の30~40分の時間を使って、学校構内のグラウンドで捕球練習も行うようになった。
だが、主将の森澤は自身のキャプテンシーを含め、どこか苦悩を抱いていた時期があった。
チームをひとつにした「主将に優勝旗を持たせよう」の雰囲気
多田晃監督は言う。
「LINEでキャプテンとして足りない部分はどこなのか、僕に直接聞いてきたことがありました。そこから長文の返事をして色んな話をして、“守備でダメなことがあったらどんどん指摘してください”って言われたので、“じゃあこれから厳しくいくぞ”って。絶対に甲子園に行こうって話しました」
どちらかと言うとあまり表に出るタイプではない森澤が、どこかもがき苦しんでいた。それでも周囲と調和を取り、何とかしようとしている。それを仲間たちも感じるようになった。センバツ後、一度はばらけそうになったチームの和が徐々にひとつになっていった。
「それからチームが“森澤に(大阪の)優勝旗を持たせよう”っていう雰囲気になったんです」(多田監督)