甲子園の風BACK NUMBER
「甲子園の優勝投手はプロで大成しない」は本当か? 松坂大輔がいた1998年以降を検証「プロ入り64%」「高校で硬式野球をやめた例も…」
posted2023/08/26 11:07
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
Hideki Sugiyama
甲子園の優勝投手は大成しない――。
高校野球でそんな定説がある。
では、1998年の甲子園で横浜のエースとして春夏連覇を果たし、プロでも活躍した松坂大輔は例外だったのか? 通説を確かめるべく、松坂以降の夏の甲子園、四半世紀に及ぶ期間の優勝投手たちの“その後”を追ってみた。
プロに進んだ割合は「64%」
まず「優勝投手」について。1998~2022年の優勝投手から検証対象とする投手について、次のような基準を設定した。
・複数投手で優勝した場合は登板試合数が最多の投手を選ぶ。同数の場合は先発数、投球回を比較し多い投手を選定
・2009年の堂林翔太(中京大中京)は野手としてプロ入りのため対象外
・2018年の大阪桐蔭は、柿木蓮、横川凱、根尾昂(プロ入り後に投手転向)がプロ入りしたため、3人とも対象
・2019年の清水大成(履正社)、2021年の中西聖輝(智弁和歌山)、2022年の斎藤蓉(仙台育英)は現在、大学の野球部に在籍しているため対象外
※2020年は新型コロナウイルスの影響で大会中止
この基準に当てはまった優勝投手は22人。その中からプロ入りしたのは14人で、割合は64%になる。
プロに進まなかった「8人」
ではプロに進まなかった8人はどんなキャリアを辿ったのか。
大学から社会人と野球を続けたのが5人(23%)。2002年の田辺佑介(明徳義塾→関西大→トヨタ自動車)、2003年の磯部洋輝(常総学院→中央大→日本製鉄)、2008年の福島由登(大阪桐蔭→青山学院大→Honda)、2011年吉永健太朗(日大三→早稲田大→JR東日本)、2014年福島孝輔(大阪桐蔭→同志社大→Honda鈴鹿)である。
大学で野球をやめたのが2人(9%)で、2000年の山野純平(智弁和歌山→龍谷大)と2004年の岩田聖司(駒大苫小牧→駒澤大)。山野は、龍谷大学で外野手登録されていた記録が残っている。一方の岩田は現在、注文住宅建設の「神出設計」の社員として苫小牧の住宅展示場で働きながら、全国的な強豪として知られる同社の軟式野球部で外野手として活躍している。