「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「空白の26日間」で広岡達朗に抱いた反発…“ヤクルトの初代胴上げ投手”松岡弘がそれでも感謝を口にする理由「野球観の8割は広岡さんの影響」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byYuki Suenaga
posted2023/08/21 17:03
「広岡さんには感謝しかない」――通算191勝を挙げたヤクルトの大エース・松岡弘にとって、監督・広岡達朗とはどんな存在だったのか
18時36分に始まった試合も、ついに終焉を迎える。
9回表1死一塁、中日の代打・谷沢健一の放った打球はセカンド・ヒルトンの前に転がる平凡なゴロとなった。ショート・水谷新太郎を経て、ファースト・大杉勝男に白球がリレーされる。20時51分、チーム創設29年目にして、初めての歓喜の瞬間が訪れた。マウンド上で松岡がピョンピョンと何度もジャンプを繰り返す。頭は真っ白になり、無意識のうちに身体全体で喜びを表現していた。ヤクルトはついにセ・リーグ制覇を果たしたのだ。
日本シリーズ第7戦、ついに日本一のマウンドへ
「泣いたよ、泣けたよ。そりゃあ、嬉しくて……」
優勝が決まった瞬間の心境を尋ねた際の松岡の第一声だ。優勝直後、興奮した観客がフェンスを乗り越えてグラウンドに乱入し、あっと言う間に混乱状態に陥った。しかし、胴上げを終えたばかりの広岡は決して動じることなくマイクを手に取り、一瞬にして恐慌状態を鎮めたのだ。
「あんなことができてしまうのが広岡さんですよ。きちんと言うことを聞いたスワローズファンも立派だと思ったけど、狂喜乱舞している人たちを一瞬で収めて、きちんとあいさつをした広岡さんはさすがですよ。指揮官として、やっぱりすごく力を持っていたんだと改めて思いますね」
阪急ブレーブスとの日本シリーズでは第2戦の先発を託された。シリーズ開幕戦は、ペナントレース同様に安田猛に委ねられた。
「この時点でも、やっぱり僕には信頼がなかったんだと思います。シリーズ直前に“初戦は安田、2戦目は松岡”と告げられました。それ以降の先発は白紙。シリーズの展開に応じて変えていくつもりだったのか、内心では決めていたけど発表しなかったのかはわからないですけど……」
初戦は安田で落とした。2戦目は松岡が5失点を喫したものの、打線の爆発に助けられて勝利投手となった。続く3戦目を落とし、4戦目は先発の安田が乱調でKOされたが、打線が粘りを見せて逆転。松岡は5番手として登板してセーブを挙げ、翌日の第5戦では4番手で連日のセーブを記録。間違いなく、松岡が中心となってシリーズは進んでいった。