熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「“ジーコを説得する”と口説かれた」「タバコ、酒はやめよう」“鹿島アントラーズ=常勝”の背景にW杯優勝ジョルジーニョの教え
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKoji Asakura
posted2023/08/13 11:01
鹿島アントラーズ時代のジョルジーニョ
「話に聞いていた通り、運営は完璧だった。ブンデスリーガも素晴らしかったが、日本はそれ以上。すべてが組織的で、秩序立っていた。当時のJリーグのレベルは、欧州強豪国には及ばなかったが、多くの優秀な外国人選手がおり、日本人選手も意欲に溢れていた。創設3年目としてはかなり高いレベルにあり、今後、さらにレベルアップするのは間違いないと思った」
――鹿島の第一印象は?
「当初、ブラジル人選手はMFのレオナルドとサントス(注:サントスはファーストステージだけで退団し、セカンドステージからCBモーゼル、MFマジーニョが加入)と私で、日本人選手にもFWのクロサキとハセガワ、CBアキタ(秋田豊)、MFホンダ(本田泰人)ら日本代表クラスの優れた選手がいた。
ただ、チームとしていつ攻め、守るのかの判断を的確に下せなかったり、適切なポジショニングが取れない選手がいて、チームのパフォーマンスを不安定にしていた。これらの問題点を目にしたときは、逐一、アドバイスした」
ホンダ、ナラハシにはすべて教えたつもりだ
――先日、ドゥンガにインタビューした際、彼も全く同じことを言っていました。
「そうだろうね。ある程度経験を積んだブラジル人選手が当時のJリーグを見たら、同じ課題に気付いたと思う。今はもう、そんな選手はほとんどいないと思うけどね」
――特にあなたに多くの質問を投げかけてきた選手はいましたか?
「最初の頃は、ホンダ。ボランチとしての守備のやり方、攻撃への加わり方、ビッグゲームでプレーする際の心構えなどを聞かれた。1997年に入ってきたナラハシ(名良橋晃)は、『世界一の右SBであるあなたがいるから、色々と教えてもらおうと思って(ベルマーレ平塚から)アントラーズへ来ました』と面と向かって言うんだ。そう言ってもらえて私も嬉しかったから、右SBとしてプレーするうえで重要なことをすべて教えたつもりだ」
――その結果、名良橋は急成長し、日本代表でも活躍して1998年W杯に出場するという夢を叶えました。
「とてもいい選手になった。私が彼の成長を少しでも手助けできたのであれば、とても嬉しいね」
――選手全般のプロ意識はどうでしたか?
「(献身、誠実、尊重を求める)ジーコ・スピリットがチームに浸透しつつあった。しかし、中にはパチンコが好きだったり、酒を飲んだりタバコを吸う選手もいた。『パチンコは短時間なら仕方がないが、長時間はダメだ。腰に良くない』、『パフォーマンスに影響するから、タバコ、酒はやめよう』と伝えた」
鹿島は小さな町で、人々はとてもフレンドリーだった
――鹿島では、主としてボランチとしてプレーしました。