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「髪の毛を切ってから、出直してこい」というヤジも…今夏甲子園の“非坊主”校、慶應高監督が明かす“高校野球の嫌いなところ”「皆、甲子園中毒になっている」
posted2023/08/11 06:02
text by
森林貴彦Takahiko Moribayashi
photograph by
Kiichi Matsumoto
青春の押し付け問題
大人が選手を自分好みのストーリーに当てはめようとする、いわば、青春の押し付け問題。これも高校野球が抱える、そして解決していかなければならない大きな課題の一つです。高校野球はシンプルに言えば、高校生がただ野球をやっているだけですが、真夏の風物詩やお祭りのように捉えている人が多く、もはや非常に巨大なエンターテインメントとなっています。新たなヒーローの出現や感動的なゲームを望むファンがいて、また、それを売り込んでいこうとするメディアの存在もある。そこで過剰に膨らまされたドラマに、それを望むファンが喜んで食いつく。こうした土壌が高校野球にはあると思います。
そしてそれを支えているのが、春と夏の全国大会が公共放送で全試合生中継され、その面白さを全国民レベルで共有できてしまうところなのです。一部からは「試合が面白いのだから、いまのままでいいじゃないか」という意見も聞かれますが、それは高校野球の思い上がりです。他の競技、例えば高校ラグビーの全国大会が野球と同じ条件で放送され、同じようにメディアで取り上げられていれば、その面白さは高校野球並みに伝わるはずです。そのため私個人としては、高校野球だけが特別に面白い競技だとは思いません。
いまの高校野球は嫌いなところがたくさんあります
こうした大きな舞台で野球をやらせてもらっている私たちが、それを一方的に批判するのはおかしな話かもしれません。
ただ私自身、いまの高校野球は嫌いなところがたくさんあります。
それゆえに現状を変えていきたいからこそ、指導者として高校野球に携わっています。
繰り返しになりますが、高校野球には大人が作り出した強い固定観念があります。全力疾走、汗、涙……。それらを良識ある大人であるはずの関係者やメディア、ファンが求め、高校生が自由な意思で身動きをとれない状況はおかしいと言わざるを得ません。
型にはまっているのは、大人だけではない
「別に坊主頭じゃなくても、何も問題ないのではないか」
「監督が絶対的な存在である必要があるのか」
「そもそもサインなしでプレーしてもいいのではないか」
「高校生が主役となって、もっとチーム作りに携わってもいいのではないか」