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“同級生・大谷翔平”はどんな存在だった? 花巻東チームメイトが明かす秘話「一人だけバットもボールも違うのを使っているんじゃないかと…」
posted2023/08/06 17:00
text by
佐々木亨Toru Sasaki
photograph by
Nanae Suzuki
現在発売中のNumber1078号掲載の[同級生の証言]大谷翔平「いつも誰かの光となって」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】
「あの時の翔平の顔は、よく覚えています」
WBCで戦う大谷翔平の姿に、今年度29歳になる花巻東の同級生たちは高校時代の光景を思い出していた。
たとえば準決勝メキシコ戦、1点を追う9回の先頭打者として二塁打で出塁し、味方を激しく鼓舞したシーン。花巻東で4番を打っていた太田知将の脳裏に、3年夏の岩手大会決勝が浮かんだ。
2012年の盛夏。忙しない蝉の鳴き声に包まれた岩手県営野球場で、花巻東は盛岡大附にリードを許して最終回の攻撃を迎えていた。走者一、二塁の好機で打席に入った3番・大谷が、詰まりながらもライト前に適時打を放つ。大谷は一塁ベース上で、打席に向かう4番・太田に視線を送った。
「翔平が『知将、行けよ』と、こっちを見て指さしたんです。声は球場の歓声で聞こえなかったけど、口の動きで分かりました。あの時の翔平の顔は、よく覚えています」
たとえば決勝アメリカ戦の試合前、チームメイトに「憧れるのをやめましょう」と語ったスピーチ。大谷が初めて投げた160kmを中堅手として「特等席」から見ていた千葉峻太は、「あんなに気の利いたことを言える人だったかな」と大人になった友の姿に感心した。
「あの言葉には『花東イズム』をたしかに感じました。翔平は160kmを投げるために、目標を『163km』に設定していましたから。『僕らは超えるために来た』という言葉は、そこから生まれたのかなと」
WBC世界一の瞬間、大谷の同級生が思ったこと
たとえばマイク・トラウトを相手に、フルカウントからスライダーで空振り三振を奪った最後の場面。投手として大谷とエースの座を争った小原大樹は、「ついにピッチャーらしくなった」と感じた。
「高校時代の翔平だったら、全部ストレートで押していたはず。昔は気持ちで向かっていくだけだったのに、あの場面で冷静にスライダーを投げた。鳥肌が立ちました」
そして、感情をさらけ出して世界一の瞬間を迎えた大谷に、太田はこうも思った。