NumberPREMIER ExBACK NUMBER
“同級生・大谷翔平”はどんな存在だった? 花巻東チームメイトが明かす秘話「一人だけバットもボールも違うのを使っているんじゃないかと…」
text by
佐々木亨Toru Sasaki
photograph byNanae Suzuki
posted2023/08/06 17:00
エンゼルスでホームランキングを独走する大谷翔平。花巻東高時代のチームメイトにとって大谷とはどんな存在だったのか
「常に翔平に負けたくないという思いがあって。それまでの自分は競争心がなくて、負けず嫌いな性格ではなかったんですけど、初めて誰かの存在を意識しながら、ひとつのことに取り組んだ時間でした」
2年生の6月。練習試合に登板した大谷は左足を痛め、後に骨端線損傷と判明する。投手としては夏の大会に間に合わなくなってしまった。「僕らが何とかしないと」と岩手大会では小原と佐々木毅が交互に先発し、決勝の先発マウンドが小原に回ってきた。相手は進学校の盛岡三。小原が中学時代、家族から進学を勧められた学校だった。
「僕が選んだ道は正解だったと、家族に証明したくて上がったマウンドでした。そんな試合で翔平が、ライトからレーザービームでランナーを刺してくれて。翔平は投げられない試合でも野手で頑張ればいいという、今と同じことをやってくれました」
小原が完封勝利を挙げ、花巻東は甲子園出場を手にした。
ただ、大谷を擁しても花巻東は、甲子園の舞台で勝つことができなかった。2年夏は帝京に7対8で、3年春に出場したセンバツでは大阪桐蔭に2対9で敗れている。
甲子園優勝のために残されたチャンスは最後の夏だけだ。その重圧は相当なものだったと小原は言う。
「甲子園で勝ち上がった雄星さんたちが、どれだけ偉大だったか。選手でいえば、僕らの代も揃っていると言われていました……最後の夏もチャレンジャーでなければいけないのに、どこかで追われる立場の気持ちになっていたかもしれない」
「バットもボールも違うものを使っているんじゃないか」
一方で、この頃に大谷の打撃が急激に伸びたと、太田が証言する。
「2年の冬を越えて、体重と筋力が増した翔平の飛距離、打球速度は明らかに変わっていました。打撃練習では逆方向から順番にホームランを打っていって、最後はライト後方の田んぼに放り込む、なんてことをやっていた。一人だけバットもボールも違うものを使っているんじゃないかと思うくらいでした」
【続きを読む】雑誌ナンバーの記事がすべて読めるサブスク「NumberPREMIER」内の【同級生4人が語る高校時代】大谷翔平は、いつも誰かの光となっている<高2冬の覚醒とは? 大谷がオススメの映画は?>で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。