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大阪桐蔭・西谷監督が激白する“絶対王者視される”苦悩「試合内容も知らずに…」「黙ってやっていくしかない」異常な人気…“桐蔭バブル”の今
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/20 11:03
大阪桐蔭を率いる西谷浩一監督がロングインタビューに応じた
「だって、選抜も初戦(鳴門戦)は3-1だったんですよ。そうやって普通に勝ち上がってきてるんですから。なのに、僕が『まだまだこのチームは弱いので』みたいなことを言うと、謙遜していると思われる。謙遜でもなんでもないのに。だから、もう、すごく嫌なんです。試合内容も知らずに強過ぎる、って。選手を獲り過ぎだとか。何でも言われる。マスコミの悪ノリじゃないですか。売ろうとしているだけですよ。でしょ? おかしい。おかしいんだけど、神宮、選抜と勝ったのは事実だし。そういうものとも戦っていかなければならない。言えば言うだけ、また何か言われるだけだし。僕が取材をもう受けたくないと言っているのは、そういうことなんですよ。静かに、黙ってやっていくしかない。そっとしておいて欲しいんです」
これまで「取材を受けたくない」とはっきり拒否されたことはなかったが、遠回しにそういうことなのだろうなと思ったことは何度もあった。
西谷が、そういう空気を発し始めたのはいつ頃からだろう。
身に覚えのない噂も…
もともと西谷は典型的な関西人で、サービス精神旺盛なタイプだ。中村剛也(西武)が在籍していた2000年前後は、いつだって気さくに応じてくれたものだ。そこから西岡剛(元ロッテなど)、平田良介(元中日)といったスター選手を抱え、チーム成績も右肩上がりになっていったが、少なくとも2000年代は、むしろ歓迎ムードだった。
2012年に藤浪晋太郎(アスレチックス)-森友哉(オリックス)のバッテリーで春夏連覇した頃になると、忙しさも手伝い、さすがに昔のような気安さはなくなったが、今のようにピリピリはしていなかった。
変わり始めたのは、根尾、藤原恭大(ロッテ)らを擁し、史上初となる2度目の春夏連覇を達成した2018年頃からだと思う。西谷は当時、メディアが名付けた「最強世代」というコピーに辟易としていた。そこまでの手応えがあったわけではない上に、彼らが3年生のときに迎える第100回選手権大会を視野に西谷が全国からかき集めた世代のように書き立てられたからだ。