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大阪桐蔭“じつは甲子園逃しかけた”あの最強世代「ヤバいヤバい」「終わった…」当時メンバーが明かす“9回2死無塁から逆転”のウラ側
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/24 11:02
5年前の大阪桐蔭「最強世代」の根尾昂、藤原恭大。夏の大阪大会で“9回2死まで追い込まれた”試合があった
ヤバいヤバいヤバいヤバい……。
石川に絶望がうごめく。チームメートの顔など見られるわけもなく、俯きながらベンチへ戻るとそのまま裏へと姿を消した。
「本当に『終わった……』と思いました。『自分のせいで敗ける』って思いました」
なぜ宮崎仁斗は落ち着いていたのか
暗雲垂れ込めるなか打席を迎える2番バッター。いつもならここは青地斗舞だった。それが、準々決勝まで不振が続いていたこともあり、準決勝は8番を任されていたのである。
奇妙な巡り合わせについて、青地が当時の胸の内を呼び覚ます。
「僕が2番やったら、もしかしたら試合が終わってたんじゃないかなって思います。2アウトランナーなしでヤバかったんですけど、僕はなんか『宮崎さえ出れば』って気持ちのほうが強かったです」
背水の場面で打席に立つ宮崎仁斗は、本来は不動の1番バッターだった。
2年生だった前年のセンバツで主力として優勝を経験する手練れは、「一喜一憂してしまうとネガティブな考えのほうが勝るかもしれない」という理由から、目の前のプレーだけに集中することを心がけてきた。本人に言わせると、その精神状態は「無」なのだという。
ここでの宮崎は、無に近いほどいつもの意識を保っていた。
「『自分がアウトになったら終わりか』みたいなことを明確に考えて打席に立ってないですね。『自分がヒットを打って、盗塁して……』みたいな思考になってたんで、あんま緊張してなかったですね。今になって映像とかで見るほうが緊張します(笑)」
その宮崎が、カウント1ボール1ストライクから3球連続で冷静にボールを見極めフォアボールで出塁し、首の皮一枚を繋げた。
西谷監督がかけた「魔法の言葉」
ネクストバッターズサークルで祈るように自分の打席を待っていたキャプテンの中川卓也は、フォアボールを選び一塁ベースへと走る宮崎の背中を見ながら「自分が出れば点が入る」と、唱え続けていた。
中川はこの北大阪大会で、バッティングの状態が上がっていないことを自覚していた。
「めちゃくちゃ調子は悪かったですね。バットを振りたくないくらい調子が悪くて、打てるビジョンが見えなかったです」