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「“無敗の怪物”井上尚弥は天才ではない…」なぜ父親はずっと否定的だったのか? 13年前、井上尚弥が日本人ボクサーに“最後に負けた日” 

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前田衷

前田衷Makoto Maeda

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posted2023/07/23 11:02

「“無敗の怪物”井上尚弥は天才ではない…」なぜ父親はずっと否定的だったのか? 13年前、井上尚弥が日本人ボクサーに“最後に負けた日”<Number Web> photograph by Getty Images

プロ24戦24勝無敗(21KO)の井上尚弥30歳。スーパーバンタム級へ階級を上げ、王者フルトンとのタイトルマッチ(7月25日)に臨む

 井上が最後に日本選手に負けたのは、2010年11月の全日本選手権大会のライトフライ級決勝。駒澤大学3年生の林田太郎に当時高校2年生の井上はポイント負けを喫する。林田はこの勝利で全日本3連覇を達成。しかし翌年は世界選手権の代表選考試合、そして再び全日本選手権の決勝で、2度対戦していずれも井上にポイント負けを喫している。

 現在母校のコーチに就いている林田に聞くと、その学習能力の高さに感心したという。「2戦目では足を使ったアウトボクサーになっていたし、3戦目はファイターの試合運びに変えてきた。それが一夜漬けではなくしっかり精度の高さを感じさせるボクシングをしていた」と証言するのである。

 大橋ジムには清水聡や尚弥の弟・拓真などアマで活躍した逸材がひしめいている。ただ、ほとんどは「プロでやりたい」と選手から頼んできたもので、「自分から獲りに行ったのは尚弥だけ」と大橋は断言する。

 井上は高校卒業後も五輪の出場権を求めて戦い続けたものの、2012年アジア最終予選で準優勝となり、望みを絶たれるとプロ転向を決意。尚弥と一緒に父真吾もトレーナーとして大橋ジムに入った。父子の注文は「弱い相手とはやりたくない」、咬ませは御免というものだった。プロ転向の記者会見で大橋が自ら考案して発表したのが、「怪物(モンスター)」のニックネームだった。ライオンや熊のように獰猛なのではない。草食動物のような風貌をした少年が、強豪を軽く倒してしまう、そのギャップがサプライズを増す。当初は本人含め周囲も違和感を抱いた呼び名も、今なら誰もが素直に受け入れ、大橋のネーミングを絶賛するだろう。

衝撃的だった“4度のダウン”

 プロ転向後の井上は予想通り倒しまくり、勝ち進んだが、まだ「怪物」の本領を発揮するには至らなかった。2014年4月デビュー6戦目でアドリアン・エルナンデス(メキシコ)を6回TKOに沈め最初の世界タイトルを獲得。この試合でさえ、怪物と呼ぶには物足りなかったのだ。

 これには理由があった。当時成長期の井上は減量に苦しみ、体重を108ポンド(約49kg)に落とすために体力を消耗し、本来のパワーを発揮できなかったのである。

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