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「次は四肢が麻痺するよ」医師は告げた…41歳で2度目の引退→銀座スナックのオーナーに、クラッシュ・ギャルズで一世風靡した伝説レスラーの現在
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/06/29 17:02
プロレス引退後の現在は銀座で会員制スナックを経営するライオネス飛鳥さん
――2000年、千種さんの横に並んでクラッシュ2000を始動させました。このときの気持ちは。
飛鳥 自分のなかでは想像していなかったことなんだけど、でも、すべてがつながってたんだなぁとは思う。さっきも言ったけど、千種が復帰したから自分も復帰しようと決めて、ヒールになって自分の位置を確立していって、最終的に選んだ地がGAEA。2人がそろうのは必然だったと思う。(復帰した当初は)ぜんっぜん想像してなかったけどね。クラッシュ2000を結成したとき、おそろいのコスチュームを決める段階で、自分はそれまでヒールでやってきたイメージを消したくないと、だからヒラヒラを着けなかったの。派手というより、けっこうクールな感じになったのは、自分の意思を曲げずに貫いたから。それで、千種の色(赤)と自分の色(青)を合わせて、クラッシュ2000らしいあのコスチュームができあがった。
――クラッシュムーブメントで活気に満ちたGAEAマットでしたが、その一方で見過ごすことができなかったのは、飛鳥さんの首に巻かれたテーピングでした。
飛鳥 フリーになってからは無謀なところがあったから、首をケガしてしまって、脊柱管狭窄症と靭帯骨化症を患ってしまった。骨化症は指定難病なんだよね。その状態でリングに上がっていて、たとえば、トペをここ(顔まわり)で受けちゃうと、可動範囲が狭いうえに、神経にふれちゃうから手足が痺れる。それを何回か繰り返していくうちに、医師から「次になったときは四肢が麻痺するよ」って言われた。手足が動かなくなる自分は、怖いよね。そのときの年齢を考えたら、これからの人生のほうが長いし、もうやりきったし、後悔することはないなぁと思って、まず千種に話したのね。「もう続けられない」って。
41歳で“2度目の引退”「すべてが楽しかった」
――千種さんは、なんと?
飛鳥 千種も肩をやってたから、「じゃあ、今度こそは一緒に引退しよう」って。GAEAの社長と統括部長に話をして、GAEAで何度か使用していた横浜文化体育館を最終の地にしようと決まった(05年4月3日)。それを発表する前に、GAEAの子たちから「お二人が辞めるんだったら、自分たちでやっていきたい」という意見が出たということで、結局、その1週間後(4月10日)の後楽園ホールでGAEAの解散式をしましょうとなって、また2人で一緒に引退できなかった。おもしろいのは、最初の引退って千種が横浜アリーナで、自分が後楽園。2度目の引退は、アリーナではないけど自分が横浜文化体育館で、千種が後楽園。これも意味があるのかなぁって。
――2度目の引退は41歳。ほんとうにファイナルリングのつもりでしたか。
飛鳥 うん。もうすべてやりきった。辞めてからも、「ちょっと上がってくれませんか?」っていう話を何度もいただいたけど、2度目のピリオドを打ったときに、中途半端な形で表に出たくないし、出ちゃいけないと思ったから、全部お断り。今もプロレスを観に行かないのは、実際に闘っている選手たちが作りあげていくものだから、昔の人間がしゃしゃり出る、何かを言うつもりはいっさいないから。
――振り返って、およそ11年間におよんだフリーランス生活はいかがでしたか。
飛鳥 すべてが楽しかった。自分で決めて、自分で責任を取ったあの11年間は、ほんとに貴重で、クラッシュ・ギャルズとはまた違った時間だった。最初の引退と違って、自分で引退を決められたし、引退までの道のりも悔いなく過ごせたし。うん、やりきった!