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「次は四肢が麻痺するよ」医師は告げた…41歳で2度目の引退→銀座スナックのオーナーに、クラッシュ・ギャルズで一世風靡した伝説レスラーの現在
posted2023/06/29 17:02
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Hideki Sugiyama
“イチかバチか”を繰り返した結果、飛鳥は天を衝いた。
長与千種が興したGAEA JAPANのリングで、1999年に一騎打ち。翌2000年に電撃合体をはたして、「クラッシュ2000」に改称して、新時代の扉を開けた。05年、飛鳥が引退したちょうど1週間後に、千種はGAEAの解散と同時にリタイア。現在、飛鳥は東京・銀座で会員制スナックのオーナーを務め、千種は女子プロ団体「Marvelous」(マーベラス)を率い、くしくも同じ経営者の立場にいる。
昭和の邂逅にはじまり、ともに時代を創造し、時には運命に蹂躙された赤と青の2つの魂。今年は、結成40周年のアニバーサリーだ。
◆◆◆
ライオネス飛鳥さん(以下、飛鳥) GAEAのリングで長与千種と敵対したときは、大きかったです。体が、ではなくて存在が。GAEAで(里村)明衣子や(加藤)園子ほか多くの選手を育ててきて、すごい存在になってた。ただ、自分もヒールとして築きあげたものがあったし、“プロレス頭”もできてたから、対抗できる自信があったよ。自分はフリーでヒール、千種は団体のトップでベビー(フェイス=善玉)。きっとね、自分がGAEAに上がるということは、誰ひとり想像できなかったと思う。このときもやっぱり、イチかバチかだったから。
――主軸がGAEAになると、平成裁恐猛毒GUREN隊とのバランスはどう取っていたんでしょう。
飛鳥 そこは風間(ルミ=当時のLLPW社長/55歳没)とも話をして、風間にしてみれば裏切られた感じで受け取ったかもしれないけど、自分がどこの団体にも属さず、フリーでやっていく意味って、ステップアップをしていくことだから。切り捨てたわけじゃないけど、「ごめん、ステップアップする」という気持ちのほうが強かった。当時のGAEAは他団体と交流していなかったから、「なんでそこに行くの?」という気持ちの人もいたと思うけど、自分のなかではステップアップの最終章。
「次は四肢が麻痺するよ」医師は告げた
――35歳の“転職”でしたが、この先の選手生活がそう長くはないことも考えましたか。
飛鳥 あったかもしれないね。