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アイドルレスラーがまさかの“ヒール転向”…「すべてがイチかバチかだった」ライオネス飛鳥の運命を変えた“男子vs女子”史上初のシングルマッチ
posted2023/06/29 17:01
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
L)東京スポーツ新聞社、R)Hideki Sugiyama
長与千種は稀代のセルフプロデューサーだった。一挙手一投足に観る者の全神経を集中させる、えも言われぬ魔力を持っていた。そんな千種の「記憶」に、「記録」も加味させたのが復帰後の飛鳥だ。団体の垣根を超えたヒール(悪役)ユニットのトップに立つと、「東京スポーツ新聞社」(以下、「東スポ」)制定の女子プロ大賞を受賞。日本のプロレス界で初めて男子プロレスラーとシングルマッチで闘った女子プロレスラーとして、歴史に名を刻んだ。
それは、飛鳥の覚醒を意味した。
◆◆◆
ライオネス飛鳥さん(以下、飛鳥) ほんとうは横浜アリーナ(89年5月6日)で千種と一緒に引退するはずだったんだけど、千種の引退を「東スポ」にスッパ抜かれちゃって、会社から「これじゃ後追いになる。これからはおまえ中心で行くから、残れ」って言われたの。ビューティ・ペアのとき、マキさんが先に辞めてジャッキーさんが残って(※1)、その後人気がなくなってしまったっていうのを新人時代に見ていたから、自分が残るのはどうかなと思ったけど、千種の記事が出ちゃったから、納得して残った。けど、結果ほぼ毎日、立野記代とのシングルマッチ。松永一族(※2)は若い次代のスターを作りたいから、(年長の自分は)もうダメだなと。だから、千種が辞めた3カ月後に引退した(セレモニーは89年8月24日、後楽園ホール)。記代には、「ごめん、先に行くわ」と言って。
――しかし、5年後の94年に戻ってきました。
飛鳥 その1年前に千種が復帰してて、ほんっとにふざけた理由なんだけど、「あっ、千種が戻ったから復帰しちゃおう。まだできるし」みたいな。
――安易とも言える……。
飛鳥 ほんとに安易(笑)。26歳で全女を辞めたときに、ちゃんとピリオドを打てていなかったっていうのもあるし、まだできるという自信もあったから、チョイスしたと思うんだよね。でも、辞めたあとの5年間で女子プロレスはガラリと変わっていて、クラッシュ・ギャルズだったときに新人だった子たちが、その5年間でクラッシュが抜けた穴を必死で埋めて、ようやく現状まで盛りかえしたときに自分が入ったもんだから、ぜんぜん付いていけない。そんなときに持ちあがったのが、吉本女子プロレスの発足。
激しい批判「ライオネス飛鳥はゴミ」…実はバセドウ病だった
――吉本興業が手掛けた新団体「Jd'」(のちにJDスター)ですね。
飛鳥 一緒に復帰したジャガーさんとバイソン(木村)に声がかかったんだけど、自分にはなかったの。その話を聞いたのは、練習終わりにジャガーさんを車で送ったとき。食っていくためには、求められている場所に自分が向かう選択肢は間違いじゃないし、自分もそうしていたと思う。でも聞かされたときは、ジャガーさんが降りたあと、車のなかで大泣きしました。ジャガーさんは「飛鳥もどうですか?」って吉本さんに掛けあってくれたらしいんだけど、「コンセプトが違うから」って……。