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アイドルレスラーがまさかの“ヒール転向”…「すべてがイチかバチかだった」ライオネス飛鳥の運命を変えた“男子vs女子”史上初のシングルマッチ
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)東京スポーツ新聞社、R)Hideki Sugiyama
posted2023/06/29 17:01
復帰後はヒールユニット「平成裁恐猛毒GUREN隊」の中心としても活躍したライオネス飛鳥
――蹴られた。
飛鳥 うん。「いらない」と。ちょうどその時期、体調がすっごく悪くて、体重が1日で2kgずつ減ったりして、10kgほど落ちてしまった。得意技であるジャイアントスイング、仰向けになった相手の両足をつかんで、遠心力で回すんだけど、ピーク時は20回以上も回せていたのに、1回も回せないほど悪化していて。忘れもしない、東スポに「ライオネス飛鳥はゴミ」って書かれたんだよね。で、診てもらったら、「バセドウ病だ」と。すごい高熱が出て、そのまま入院。このままフェイドアウトしちゃおうかなって考えたんだけど、ここで辞めたら今までやってきたことが台無しになるなぁと。
――心まで落ちなくてよかったですね。クラッシュ時代に経験したストレス障害があるだけに。
飛鳥 そうだね(笑)。心は落ちなかった。前回は一生分落ちたけどね。今回は、「なにくそっ、絶対に復帰してやる!」って思えた。で、ドクターからOKが出てから格闘技を習いはじめて、体力をつけて、結果ジャガーさんの働きかけがあって、Jd'のプレ旗揚げ戦(96年4月14日、東京・ヴェルファーレ)で復帰できた。所属はしない、フリーの立場で。
アイドルレスラーから、まさかの“ヒール転向”
――すさまじいのは、ここからのV字回復です。クラッシュ・ギャルズとして栄華を極めたにもかかわらず、97年にまさかのヒール転向。
飛鳥 いろんなことを模索しても答えが見つからなかったときに、FMWの広報の男性(伊藤豪)から「飛鳥さん、悪役をやってみませんか?」と言われて、イチかバチかでやってみようと。このまま中途半端な形でリングに上がりつづけても自分がおもしろくないし、この先の居場所を確保するには、今までやってこなかったことをやってみようと。そこをチョイスしてからは、何をやるにしてもイチかバチか。
――トップアイドルレスラーだった過去が、頭をよぎりませんでしたか。
飛鳥 ぜんぜんよぎらなかった。もう、ここしかないと思って進んだから。
――この道が正解だったという感触をつかめたのは、どういう瞬間でしたか。
飛鳥 長机を持ちはじめたころだね。そこから、自分が何かを作りだしていく、アピールしていくことが構築されていった。そうなると、プロレスがおもしろくなるんだよね。クラッシュ時代は2人で1つだったから、たとえばインタビューでも、千種がこう言ったから自分も合わせて言わないといけないとか、ほんとは違うことを思ってるのになぁとか、言えないことがたくさんあったんだけど、フリーを選んでヒールに進んでからは、言いたいことは相手に伝える。あと、団体の大小にかかわらず、ギャラは全部同じ額にした。この1試合でヘタなことをしたら次は呼ばれないという危機感を、自分に持たせる意味もあって。だから、毎試合毎試合、200%の力でやってたよ。