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アイドルレスラーがまさかの“ヒール転向”…「すべてがイチかバチかだった」ライオネス飛鳥の運命を変えた“男子vs女子”史上初のシングルマッチ
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)東京スポーツ新聞社、R)Hideki Sugiyama
posted2023/06/29 17:01
復帰後はヒールユニット「平成裁恐猛毒GUREN隊」の中心としても活躍したライオネス飛鳥
史上初「男子vs女子」のシングルマッチに出場
――飛鳥さんのJd'、シャーク土屋さんを中心としたFMW、イーグル沢井さんを中心としたLLPW(現LLPW-Ⅹ)の3団体が合体したヒールユニット「平成裁恐猛毒GUREN隊」は、ピーク時は10選手を超える大所帯に。男子プロレスラーの冬木弘道さん(42歳没)、邪道・外道も巻きこんで、男女の垣根をも越えました。
飛鳥 男子と闘うという話をいただいたときは、単純に話題が欲しかったっていうのもあるけど、そこもイチかバチかだよね。プロレスがすごくおもしろい時期で、体力的にもできあがってる状態だったので、長崎だったかな、冬木さんと一騎打ちしたんだよね(97年7月22日、長崎NCCスタジオ)。
――冬木さんはどんなレスラーでしたか。
飛鳥 すごく無口な方。なんだけど、相手が女子プロレスラーだっていう考えをぜんぜん持たず、いちレスラーとして接してくれた。だから、なんっの手加減もされなかった。邪道・外道さんに投げられたときも、そう。だからこそ、観てる人たちも、取材をしてた人たちも感銘を受けたんだと思う。男子レスラー対女子レスラーのシングルマッチは史上初だったという話題性もあるけど、闘ってた自分たちは男子も女子も関係ない。冬木さんがそういう態勢でいてくれたから、プロレスとして成りたったんだと思う。あと、自信があったよね。男子に本気でやられてもケガをしないだろうという自信が。
あの冬木戦が、ヒール・ライオネス飛鳥の原点
――結果、因縁深い「東スポ」の女子プロ大賞を受賞しました。マット界の台風の目であったことが、受賞という形で実証されました。
飛鳥 でも、うちらは、シャークもイーグルもここが頂点だと思ってなかったよ。まだ行くぞと、来年はもっと行けるぞと、そっちの気持ちのほうが強かったと思う。
――飛鳥さんにとってキーマンとなった冬木さんですが、今年は天国に旅立ってちょうど20年です。今、改めて思うことがあれば。
飛鳥 んー、なんだろなぁ……。ヒール・ライオネス飛鳥を確立するにおいて、冬木さんとの一戦はすごく重要な位置を占めているので、感謝の気持ちでいっぱい。闘ってからはまったく接点がないまま、お別れになってしまったから、それは残念……です。《#3につづく》
(※1)79年2月27日、日本武道館で開催された「WWWA世界シングル選手権戦&敗者引退マッチ」で、ジャッキーに惜敗したマキがその日限りで引退した。
(※2)全女は松永兄弟が旗揚げ・運営した同族企業だった。次男の健司が副会長、3男の高司が会長、4男の国松が社長(「ジミー加山」としてレフェリーも兼任)、5男の俊国が元社長。
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