将棋PRESSBACK NUMBER
「彼女いるの?」20代の羽生善治は聞かれ続けた… 28年前、世間が驚いた朝ドラヒロインとの婚約「結婚したら弱くなるのでは?」も七冠で吹き飛んだ
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byKYODO
posted2023/06/09 17:30
1995年7月、七冠挑戦中に羽生善治は女優・畠田理恵さん(右)との婚約を発表した(千駄ケ谷の将棋会館で)
肝心の対談も、羽生が前日にタイトル戦があって疲れていたため、1時間くらい話をしただけだった。ただ、彼女は、棋士だからきっと芸術家っぽくてエキセントリックな人だろうと思っていたのが、意外と明るい印象を受けたという(『éf』1995年11月号)。
その後、羽生の同僚である森下卓が2度ほど食事の席を設けてくれたおかげで、2人は連絡先を交換し、羽生のほうから畠田をデートに誘うようになったようだ。デートを重ねるうち、互いに結婚も意識し始める。それでも羽生は、棋士というのは先の見えない職業だから将来の保証はできないと彼女に念を押した。また、今後は将棋界での公的な仕事も増えると見越して、結婚したら彼女には仕事をやめてサポートに回ってほしいと長時間話し合い、理解してもらったという。
谷川浩司「羽生さんは、ちょっと違う」
こうして婚約を発表すると、例によって「結婚したら弱くなるのでは」ともささやかれたが、それも七冠制覇で吹き飛んだ。もっとも、当の羽生は《結婚して弱くなる人はきっともとから弱いんですよ(笑)。私にとって結婚は普通の節目のひとつです》と、まったく意に介さなかった(『文藝春秋』1996年4月号)。とはいえ、谷川浩司から王将を奪った対局中には《彼女にはいつも電話をしていました。彼女との会話が大きな支えになっていたのです。将棋のルールも知らない人ですが、本当に心の支えとなってくれました》とも明かしている(『週刊文春』1996年3月7日号)。七冠を成し遂げた5日後には、畠田が東京駅で暴漢に襲われて入院するという事件もあり、羽生は衝撃を受けたが、結婚式は無事、翌月に挙げるにいたった。
大勝負を続けるなかで婚約を発表し、マスコミから追いかけられながらも七冠を達成した羽生には、先輩棋士たちも驚くばかりだった。なかでも七冠を許した当人である谷川浩司は、このときの羽生のマスコミからのもてはやされ方に、いままでの棋士にはなかったことだと思うとともに、「羽生さんは、ちょっと違うんだな」と感慨を抱いた。
《七冠制覇をやり遂げることだけでもものすごくエネルギーを使うのに、このたいへんな時期に婚約して結婚する。あれだけのマスコミの注視の中で、いとも軽々とやっているように見えた。/「ちょっと、違う」は、私と違うだけでなく、他の人と比べてもちょっと違うのではないかと思ったのだ。そう思うと「何だ、そうか。ちょっと違うのか」と妙に納得できたところがあった》(谷川浩司『復活』角川文庫、2000年)
谷川は、羽生と自分は違うと気づいたことで、それまで彼に抱き続けてきたコンプレックスから脱することができたという。
「役割ですか? 役割なんて、あるんですかねぇ」
なお、羽生は七冠達成後、結婚式まではそれを維持したいと語っていたが、七冠はその希望より長く、1996年7月30日に棋聖の座を三浦弘行に明け渡すまで5カ月半キープされた。