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「田中碧くんはいつも親身に」内野貴史22歳がドイツで学ぶ海外組の心得…毎晩のように電話する鈴木唯人から聞いた「川島永嗣さんは…」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byBoris Streubel/Getty Images
posted2023/05/24 17:01
3月のドイツ戦での内野貴史。デュッセルドルフ、パリ世代の日本代表でさらに存在感を増せるか
「まだまだ足りないなって痛感しましたけど、ちょっと通用した部分もあって自信が付いたというか。高いレベル、高い強度のなかでやらせてもらってコンディションを保つことができたし、メンタル的にも充実できたんですよね。A代表の人たちと自分の距離を測ることができて、自分も頑張れば将来、A代表になれるんじゃないかって。だから、すごくいいメンタルでウズベキスタンに行けたんです」
その夏、内野はたしかに天に向かって伸びる階段を駆け上がっていた。階段は、デュッセルドルフのトップチーム定着やパリ五輪代表定着、将来のA代表選出へと続くはずだった。
あれを二度と経験できなくなってしまう。それは嫌だな
だが、勢いがつきすぎたのか、その階段を踏み外してしまう。
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22-23シーズンのドイツ2部リーグ開幕戦となったマクデブルク対デュッセルドルフ戦で途中出場を果たしたものの、その後のトレーニング中に左足首の前脛腓靭帯を断裂し、長期離脱を余儀なくされるのだ。
「アジアカップが終わってからも調子が良くて、開幕戦でも途中から出て、これからっていうときに……。それまで手術をしたこともなかったし、大きなケガは初めてだったから、かなり辛かったですね。練習すらできないもどかしさを感じて」
サッカー中継を観るのも嫌な時期があったというほど精神的ダメージを負った内野を支えたのは、ほんの2カ月ほど前に味わった高揚感だった。
「アジアカップで日の丸を背負ってプレーしたとき、これがサッカーだよなってすごく昂ったんですよね。あの誇らしい気持ちが心の中にずっとあって。ここで腐っていたら、あれを二度と経験できなくなってしまう。それは嫌だなって。そういう気持ちをモチベーションにして、リハビリに努めていましたね」
トップチーム昇格と、セカンドチームが主戦場の現状
田中に励まされながら、スイスやイタリアと戦ったU-21日本代表に刺激を受けながら、復帰に向けて歩んでいた内野に22年10月、嬉しいオファーが届く。
まだ負傷が完治していないにもかかわらず、正式にトップチーム昇格を告げられたのだ。内野にとって待望のプロ契約だった。
「ようやく自分もプロになれたんだなって。本当に嬉しかったですね」
もっとも、トップチーム昇格を果たしたとはいえ、主戦場は依然としてセカンドチームだ。
かつてドイツ代表としてU-17ワールドカップに出場した右サイドバック、マティアス・ツィンマーマンの牙城を崩せず、ベンチウォーマーに甘んじるゲームが少なくない。