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「何かやらせてください」出場停止中、朝乃山はちゃんこの下準備で包丁を握った…元大関は“失われた2年”を取り戻すことができるのか
posted2023/05/23 11:02
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph by
Kiichi Matsumoto
やはり、この男がいるのといないのとでは違う。2年前の夏場所11日目以来となる幕内の土俵に上がると、満員の客席からは横綱や大関をも凌ぐほどの大きな拍手と大声援が沸き起こり、幕内前半戦の取組にもかかわらず、一瞬にして華やいだ雰囲気になる。
ファンはそれほど彼を待ち侘びていたのだ。と同時に、館内のボルテージが高まれば高まるほど、この2年間のあまりにも大き過ぎた“喪失感”を背後に読み取らずにはいられない。
横綱候補から一転、6場所出場停止に
新型コロナウイルスが全世界に猛威を振るい始め、史上初の無観客開催となった2020年春場所後、朝乃山は大関に昇進した。この場所で44回目の優勝を成し遂げたものの、横綱白鵬は休場を繰り返すなど、全盛期はとうに過ぎ、最後まで賜盃を争ったもう一人の横綱、鶴竜も“老境”の域であった。そんな状況で190センチ近い身長の恵まれた体格を誇る新大関は、横綱も狙える逸材というだけでなく、相撲協会の屋台骨を支える新時代のスター力士として、大きな期待を寄せられていた。
新型コロナウイルス蔓延による夏場所中止を挟み、待望の大関デビューとなった東京開催の翌7月場所は初日から9連勝。最後まで優勝を争って12勝の好成績だった。続く秋場所も10勝をマーク。大関在位中、皆勤した4場所はいずれも2桁勝ち星を挙げており、次期横綱候補として着々と実績を積んできたさなかの2021年夏場所中、とんでもないことが明るみになってしまう。
コロナ禍の外出禁止期間中にキャバクラに複数回通うなど、協会が定めた新型コロナウイルス対策ガイドライン違反が発覚。協会の事情聴取に対し、当初は虚偽の報告を行うなど大関としての尊厳を著しく汚したとして、出場停止6場所という重い処分が下された。
直後に提出した引退届は預かりとなり、一から出直すことを決意したものの、その矢先の同年8月、父・石橋靖さんが急死。「一番辛かった。当時は先が見えない状態だったので」と悲しみに打ちひしがれて失意のどん底にあった。