アスリート万事塞翁が馬BACK NUMBER
ドラフト1位指名から7年、野中徹博は中華料理屋で「ラーメンのダシ」をとっていた…甲子園の英雄が阪急で味わった“一度目のプロ生活”の苦しみ
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byKYODO
posted2023/06/25 11:01
1984年、プロ1年目の野中徹博。前年のドラフト会議で阪急に1位指名された右腕を待ち受けていたのは「いばらの道」だった
「外食産業の企画をするのかと思っていたら、とんでもなかった。『やります』と言ってしばらくしてから、『お前がラーメン屋を出すんだ』と言われたんですよ」
気づいた時にはもう遅かった。ラーメンの作り方や隠し味を学ぶために、札幌市内にある中華料理店で下働きをさせられた。朝8時に出勤しエプロンをつけて中華鍋を振りながら仕込みをし、ラーメンのダシをとる。休む間もなく11時の開店時間がやってくる。
開店すると、今度はホールに出て客の注文を聞く。12時間働き詰めで、店を出る時はいつも20時を回っていた。
「僕も子どもでしたよ。先輩の話をちゃんと聞こうともしない。ましてやどんな仕事なのかも質問しなかったから、本気で修業する気もないのに丁稚奉公のような仕事に就かされてしまった」
「俺はいったい何をしているんだ…」
仕事が終わったある日、1人でふらりと飛び込んだ店で酒を飲んだ。
数日後、野中が再びその店に訪れると、歌手の松山千春が来店していた。その姿を目にした時、野中はプロ1年目のある記憶が頭をよぎった。
芸人の明石家さんまのチームと松山千春のチームが野球の試合をすることになり、野中がゲストで呼ばれたことがあったのだ。その時、松山から「期待のドラフト1位の野中くんです」とみんなに紹介された。中学時代から憧れていた歌手に、自分が紹介される――プロ野球選手としての希望に満ちていた頃の、忘れられない思い出だった。
席につこうとした時、松山は野中に気づいた。
「お前、何してるんだ」
「野球をクビになって、札幌の中華料理屋にいます」
「そうか、頑張れよ。いつでも俺のツケで飲んでいっていいから……」
松山は野中の肩をたたいて店を後にした。
「松山さんに声を掛けられた時は、おこがましいというか、複雑な気持ちもありました。『もう俺は野球選手じゃないのに』と。でも、頑張れよと言ってもらえて、正直うれしかったですね」
酒の入ったグラスを前に、野中は自問自答した。
「俺はいったい何をしているんだ……」
野中が働く中華料理店では、否応なくプロ野球中継が流れる。野球という言葉を聞くのも嫌だったはずが、同級生や後輩が活躍している姿を目にして、心の底に燃え上がるものがあった。
「違う世界で成功して、野球界を見返してやろう」
店を辞めることを決意した野中は、上京して広告代理店を立ち上げる。すると、今まで野中を見放してきた野球の神様が、ついに手を差し伸べてきた。
<#3に続く>