ボクシングPRESSBACK NUMBER
「あ、ここで負けるのか、俺」村田諒太がゴロフキン戦を改めて見て抱いた“あの日と違う感情”「向こうもきつかったんだな」「悔しいと思うのは…」
text by
村田諒太Ryota Murata
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/05/05 11:05
ゴロフキンに上から右をかぶせられ、リング上で崩れ落ちた村田諒太。その瞬間の映像を見る村田は姿勢をただし…
だからこそ、もったいないのだ。ここでボクシングを辞めたら悔いが残るかもしれないと思ってしまった。そんなことをいつまでも考えていては切りがないが、映像を見てからおよそ3週間後。年が明けた23年1月、僕はゴロフキン戦後初めて帝拳ジムに行ってボクシングの練習をしたことも記しておく。
試合後に帝拳ジム・本田明彦会長からかけられた言葉
試合後のリング上で、ゴロフキンから「チャパン」と呼ばれるカザフスタンの民族衣装を模した青いガウンを贈られた。そのガウンを着たまま、リングを下りて花道を引き揚げる。ダメージもあって少し意識がぼーっとしている僕の耳元に、この大一番を組むためにプロモーターとして奔走してくれた帝拳ジムの本田明彦会長の声が聞こえた。
「お客さん、誰も帰ってないよ。こんなの初めてだよ」
ファンの方には申し訳ないのだが、僕は試合を戦っている最中はいつもほとんど歓声が聞こえない。だから、この花道を引き揚げながら見た光景はうれしかった。場内を見渡して 「ありがとうございました」と心の中で感謝の言葉を口にした。
僕の心が折れることはなかった
試合前、僕が一番思っていたことは「ビビって力を出せないことだけは嫌だ」ということだった。しかし、26分余りに及んだ激闘の最中、僕の心が折れることはなかった。最後まで闘う気持ちを失うこともなかった。試合前に感じていた自分の中に潜む弱さは、間違いなく乗り越えられたと思う。
21年秋に試合が決まってからの半年間を振り返ったとき、この時間を肯定的にとらえることができる。色々細かい点まで目を向ければ100点ではないかもしれないが、点数に関係なく肯定できる。この自己肯定感は4月9日の試合がくれたものというより、あの一戦に向かっていった過程がくれたものだ。
「勝負の世界は結果が全て」というのは事実。だからアスリートは悩み、苦しむ。僕もとても悔しい。映像を見て、また悔しい気持ちがふつふつと湧き上がってきた。
その事実に照らせば、敗れた僕は何も自分を認めることができないことになるが、そんなことはない。これまでのどんな試合よりも自己肯定感や充実感を得ることができた。
半年間の時間が、この試合の意味を勝ち負けだけで語れないものにしてくれたのだ。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。