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「ヤクルト移籍は“さやか”のためだった」石井琢朗が明かす、テニスのプロとなった次女の存在「久保竜彦さんの娘さんにボコボコにされて…」 

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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photograph byYuki Suenaga

posted2023/04/17 11:00

「ヤクルト移籍は“さやか”のためだった」石井琢朗が明かす、テニスのプロとなった次女の存在「久保竜彦さんの娘さんにボコボコにされて…」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

3月20日にプロ転向の会見を行った石井琢朗と次女のさやか。石井琢朗が在京球団へ“転職”した裏には娘の存在があった

 そう言わないではいられない負けず嫌いの性格は、恐らく父親譲りだろう。

 琢朗「そこは、まあ、お姉ちゃんがちょっと遠慮してくれたんだよ。負けず嫌いはいいんだけど、物に当たったりとか、そういう悪いところまで俺に似ちゃったら困るな(苦笑)」

退路を断つ

 さやかは海外遠征が好きだ。10歳にもならないうちから、もっと外国で試合をしたいという気持ちが芽生えていた。

 さやか「いろんな国に遠征して、そこで試合をするのがすごく楽しいんです。最初は小3のとき、海外遠征を組んでいるコーチ(ツアーコーチ)に連れて行ってもらったアメリカ。9歳で初めてウィンブルドンにも行って、試合を見て、私も将来はここでテニスをやりたいと思った。それが、プロを目指した最初のきっかけです」

 琢朗「本当にプロになるつもりがあるのか、小6のころに何度も気持ちを確かめました。当時、娘をテニスクラブへ送り迎えしていた車中で何回もさやかに、な、話をしたよな?」

 そのとき、父が最も強調したのは、本気でプロになるつもりなら退路を断て、その覚悟を持てるのか、ということだった。

 琢朗「テニスがダメだったら、普通に学校に行って、普通に就職すればいいやという考えでは失敗してしまう。僕はプロ野球の世界でそういう例をたくさん見てきたから。だからさやかに、プロ一筋で成功する以外に選択肢はないんだ、ということを、早いうちに理解させないといけないと思ったんです」

そこまで事の重大さを理解できてなかった

 12歳にして進路の決断を迫られる。それは、親が負担する教育費という現実的問題とも無関係ではなかった。

【次ページ】 娘のために東京に戻ることを決意

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