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佐々木朗希の労いに宮城大弥は思わず「ニコッ」…仲良し21歳の“同学年リレー”を支えた侍ジャパンの雰囲気「本当に素晴らしいチームメート」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySankei Shinbun
posted2023/03/12 17:05
3月11日のチェコ戦直後、3番手で試合を締めた宮城大弥に駆け寄った先発の佐々木朗希
2人が共有する、“悔しい思い出”とは?
二人が国際大会でバトンを繋ぐのは、これが初めてではない。2019年9月6日、仲を深めたきっかけでもある韓国でのU-18ワールドカップ。スーパーラウンドの韓国戦で、当時大船渡高でプロ注目投手だった佐々木は高校日本代表の先発マウンドに上った。しかし、試合前に右手中指のマメが痛み出し、1回を投げたところで無念の降板となった。
当時興南高の宮城は、この試合で「6番・レフト」で先発し、途中からはライトに回っていた。佐々木の緊急降板を受け、待機していた投手を総動員するなかで、4番手として2点リードの7回からマウンドへ。3回を投げ打者15人に対して5安打2奪三振と奮闘したが、味方のエラーもあって2−2の同点に追いつかれた。試合は延長タイブレークの末、4-5と逆転負け。チームは翌日のオーストラリア代表戦にも敗れて5位に終わり4大会ぶりにメダルを逃した。JAPANのユニフォームに袖を通して上がったマウンドは、二人にとって悔しい思い出のまま終わっていた。
あれから3年半。オリックスとロッテから共にドラフト1位指名を受けた両腕は、トップチームの日の丸投手陣を担う存在へと成長した。「3・11」、その特別な日に、自身も東日本大震災の被災者としての思いを背負って投げた佐々木は、侍史上最年少の勝利投手になった。
21歳の二人は、最高の舞台で輝いた
「いろいろありましたけど、今日自分ができることをしっかりやって、今日このマウンドに立てたことに感謝していました」
お立ち台では万感の思いを口にした。
宮城はその佐々木よりも長い5回を投げ抜き、渾身の1球で勝利を締めくくった。
「球数制限がある中で5回まで行けて、中継ぎの負担を少しは減らせたと思いますので、その部分は自信を持って次にのぞみたいなと思います」
はにかみながらも胸を張った。
3球でピンチを抑えた宇田川先輩の力も借りて最高の舞台で共に結果を残した二人。21歳のJAPANのユニフォームはこの夜、誇りと輝きに満ちていた。
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