月刊スポーツ新聞時評BACK NUMBER
《武藤敬司、完全燃焼》蝶野正洋との“最後の戦い”で鮮やかに蘇った、1991年G1クライマックス、闘魂三銃士の爆発の記憶
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph byKYODO
posted2023/03/01 06:00
1991年8月11日に両国国技館で開催された「G1クライマックス」優勝戦で、当時ダークホースだった蝶野正洋が武藤敬司をSTFに決める
多くの人がそれぞれの思い出を巡らせていたに違いない。私もそうだった。2人の姿を見たら、学生時代に観戦した第1回G1クライマックス(1991年)の優勝戦を思い出してしまった。
当日は武藤が決勝進出を先に決めており、その相手を巡って橋本真也と蝶野が決勝進出を賭けて戦った。順当なら橋本という当時の状況だったが、両国国技館は「蝶野、いけるぞ!」という空気に包まれ始め、館内が一体となっての蝶野推し。「STF! STF!」と蝶野の必殺技を求める大合唱。遂に橋本をとらえSTFの体勢に入ると館内はお祭り騒ぎ。橋本はギブアップ。
このとき、両国国技館はたしかに爆発したのである。その勢いのまま迎えた優勝戦で蝶野は武藤にも勝って優勝。座布団が飛び交う劇的なフィナーレとなった。気が付くとリングにいるのは蝶野、武藤、橋本の三銃士。そこには長州も藤波も猪木もいない。新日本プロレスに新しい時代が来たのだと感じた光景だった。
プロレスは感動だけじゃ終わらない
あの日からの今日(2023年2月21日)である。蝶野はまだ満足に動けない体を懸命に動かして武藤にSTFを決めた。またもや感動的なフィナーレとなったのだ。しかし思い出に浸ってセンチメンタルな空気だけになっていないのは武藤の明るくサッパリしたキャラクターのせいだろうか。心地よい空間だった。蝶野もあれだけ感動させたあとにこんなコメントを出している。
《大会後、取材に応じた蝶野は「ハメられた」と真相を告白し、自身の引退試合が開催可能となった際には武藤にリベンジすると予告した。》(東スポ)
最高だ。最後までありがとう武藤!
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