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「人生終わるのかなぁ」手足は真っ青、全盛期に告げられた膠原病…ダイナマイト関西が直面した「“強いパブリックイメージ”との葛藤」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byKiichi Matsumoto
posted2023/03/14 11:01
圧倒的な強さで人気を博す裏で、膠原病との闘いを続けてきたダイナマイト関西さん。当時の苦労を聞いた
「強いパブリックイメージ」との葛藤
関西 相手は全力できてるのに、自分がそれを受けきれへんかったら、相手に迷惑をかけるやんか。相手が全力できて、そのすべてを受け止めてこそダイナマイト関西やから。それができなくなったら、辞めないとあかんと思ってた。なんとかね、受けきれていたけど。ほんまになんとか……かもしれんけど。
――JWPを退団後、2000年から5年間はGAEA JAPANを主戦場にしました。膠原病を口に出さず、強いパブリックイメージをキープすることは、正直つらかったですか。
関西 うん、つらかったね。GAEAでは長与(千種)さんにももちろん言ってないし、どこかからの伝手で聞いてたかもしれへんけど、向こうからそういう話を振ってこないし、こっちも振らへん。ましてや、GAEAの所属は若い子ばっかりやん。伝えるまでもないし、そんな会話もしない。あと、当時は店(※鉄板ダイニング店を経営していた)もやってたんで、時間があるときは店にも出て、トレーニングもして、試合はフルで出場してたから、てんてこ舞いな感じ。日々何かに追われてて、前に進むしかなくて、毎日が必死やったね。
――忙しさによる病状悪化を心配しませんでしたか。
関西 なかったのよ。忙しくしてたことがよかったみたいね、逆に。
「膠原病は長く付きあう友達やと思って」
――GAEAは大型ファイターが多かったですが、“壊される不安”はなかったですか。
関西 ない、ない! どっからこの自信が出てくるんやろね(笑)。不安とか、そんなん考えたことないねん。立ち直りも早いし。
――生粋のポジティブ人間なんですね。
関西 せやな。お母ちゃんの血やね。前向きで、根っから明るい人やから。
――発症からおよそ20年。現在は、膠原病とどう向きあっているんですか。
関西 冬はちょっとこわばるから、クリームを塗って、手先と足先を温める。指先を動かす、適度な運動をする。硬くなってたところがしこりとなって体に残ってるというのはあるけど、まだそれは我慢できる範囲やな。もう通院もしてないし、後遺症もないよ。ただ、これだけは言っておきたいのは、膠原病にはほんまにいろんな種類があって、まだ解明されていない病状もあるぐらいなんでね、プロレスのようなハードなスポーツができた自分のような例は、ほんまに特殊。一般の人はくれぐれも、激しい運動をするにしても治療にしても、お医者さんとしっかり話しあってほしい。よく先生と言ってたのはね、膠原病になってしまったのは、もうこれはしょうがないと、これも運命やと受け入れるしかないと。長く付きあう友達やと思っていくしかないよ、とね。そう思って、受け入れてるよ。
《つづく》
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