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武藤敬司は日本初のスキンヘッドヒーロー?「イメチェンするからさぁ」フードを脱いだ瞬間、高田延彦も呆然とした20世紀最後のサプライズ 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph by東京スポーツ新聞社

posted2023/02/21 17:01

武藤敬司は日本初のスキンヘッドヒーロー?「イメチェンするからさぁ」フードを脱いだ瞬間、高田延彦も呆然とした20世紀最後のサプライズ<Number Web> photograph by 東京スポーツ新聞社

2000年の大晦日、リングの上で「スキンヘッド」に変身した姿を披露した武藤敬司

 大晦日に向けて武藤が帰国したとの噂を聞きつけ、さっそく携帯に電話を入れてみると「久々の日本だし、ちょっとイメチェンするからさぁ、まあ見ててよ」と思わせぶりな口調。その答えが衝撃のスキンヘッド姿だった。当時の日本プロレス界において、すでにトップの座に上り詰めた選手が、あそこまで大胆にイメチェンした前例はなかった。

 以降の武藤は2002年に全日本プロレスに移籍、社長就任などのサプライズを連発し、見事なまでに21世紀のプロレス界に君臨し続けた。

 もはや薄毛やハゲに悩む必要はない。スキンヘッドの対外的なリスクといえば、不祥事の際に頭を丸めて謝罪できないことや、プロレス的には「髪切りマッチ」ができないことぐらい。21世紀に入ったあたりから、成人男性のキャップやニット帽着用、おしゃれ系坊主の浸透など、ファッション的な意識変化(それまで大人の坊主頭は謝罪や反省の証であり、帽子着用はわりと不審者扱いされがちだった)も後押しした。プロレス界に限らず、武藤は「国内初のスキンヘッドヒーロー」となったのだった。

 こと成人男子の髪型に関しては、日本は1000年代に入って以降、明治維新まで「ちょんまげ」なる奇妙珍妙かつ不自然な髪型が、もっとも長期にわたって流行してきたという歴史がある。そんな第二ミレニアム最後の日(2000年12月31日)に、武藤がスキンヘッドに変身した意義は大きいのである。

#1「幻のヘビー級タイガーマスク編」から読む)

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「ムーンサルトは小学生の時からできていたよ」武藤敬司の新日入門があと1年早かったら“ヘビー級のタイガーマスク”が誕生していた?

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